utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ13

 フェリーボートの船上から対岸の150mから300mにも及ぶ、巨大な石柱群による景観が延々と繰り広げられた。まるで儀仗兵が整列するような景観を前に乗客達は強い夏の太陽の光の所業に極北の旅行で、あと緯度で4度北上すれば北極圏に入るタイガ地帯ですごしていることを忘れ、感嘆の声を上げた。ここから川の流れにそって、3日も下れば森林限界線を越え、ツンドラ地帯経て北極圏入りとなる。

 船上甲板の体感温度は35℃を超えていた。ただし、湿度は低いので直射日光を遮ることができれば、思ったほど苦痛ではない。日中の高温である時間帯は短く、朝夕は冷え込む日中の寒暖差が30度はあり、日本の高温多湿から来る肌表面からの発汗機能に蓋をするような重苦しい不快感はなく、日中の直射日光を遮る何らかの対策をするか、さもなくば高温時間帯をオミットしてしまえば、日中が長いので比較的過ごしやすい旅となってしまう。

 石柱群は、カンブリア紀の深海で形成された粘板岩を含む堆積地層が隆起し、極地の100度に及ぶ年間の寒暖差による地表に発生したひび割れに水が侵入する事で、浸水流入穿孔に沿って、氷結膨張による土壌崩壊が進み周囲より堅い地層が最終的に残ったものである。そして、レナ川が地表面へ露出した崩壊域土壌を浸食することでラプラテ湾まで運び、河口域に巨大なデルタを形成する材料を悠久の時間軸の中で提供したことになる。

 ヤクーツク空港で深夜の1時に衝撃的なランディングを経験し、しばらくは着地時の激しい体験に呆然としている間に日が昇り、夏の強い陽に照り輝くエアバスSSJ100の頑丈そうな機能性重視の車輪装置を見つめるばかりであった。しかし、団体で来ているツアーなので、決められた旅程がぎっしり計画されており、呆然自失の落下傘隊員もあれよあれよのうちにレナ川の船着き場まで行き着き、そこから半日ほど川を遡って、ユネスコ登録の国際自然遺産、レンスキエ・ストルブイ自然公園の見学を伴う現地行政組織による歓迎会が実施される船上の客となっていた。

 共和国大統領による歓迎式典の開会が宣言され、引き続き歓迎の言葉が述べられた。視察団長による返礼の言葉が日本語で述べられ、通訳者によりロシア語に訳された。その後も視察団に参加している有力議員と思われる日本側の視察の意義など盛りだくさんに振る舞われ、その都度、通訳者によりロシア語に翻訳され現地参加者に紹介されていた。友好親善の夕食会が薄暮の中に催され、商機を狙う両国の鵜の目鷹の目の持ち主による名刺交換へと移っていった。

 よく見ていると、現地人ビジネスマンは片言の日本語で対応しているのに比べて、日本人側は日本語のままなのを見ていると、遙々シベリアの地に商機を見つけに来たにしては準備不足が否めないのではとの印象を受けた。もともと、多民族が陸続きで国を接して来た歴史的背景からすると、大陸に生き残った民族の生命力のような強さを改めて感じた。生存環境が厳しいことから来るのか、人懐っこい民族的特質をロシア人全般に感じるが、顔の作りがほぼ日本人的な頬高で目の細い作りから来る親近感を助長するので、あとは言葉が通じればと考えてしまうのわたしだけではあるまい。

 ロシアは大統領制連邦国家であり、住民による直接選挙により国家元首を選ぶ、その国家元首である大統領が首相及び連邦行政組織の各省庁のトップ人事権を行使することで各大臣を任命し、連邦国家の行政運営を行う。連邦を組む各共和国も以前は住民による直接選挙で大統領を選んでいたが、連邦組織運営の長である首相と共和国の大統領の従属関係が微妙になって来た。メドベージェフが大統領時代にロシア憲法上で共和国の大統領を規定したときから、共和国の直接選挙で選ばれるのではなく、連邦政府が元首を任命し、共和国議会で承認する形となり、より連邦政府を中心とする中央集権化がすすみ、首長と呼換えるようなって来ている。

 ソビエト連邦時代からロシア民族が主要な国土内に他民族によるナーテイヤと言う自治共和国ナロードノスチと言う自治州、プレーミヤと言う自治管区が人口や占有地域規模により層別識別化され存在しており、ソビエト連邦崩壊時に現在のロシア連邦内の自治権を持つ共和国の母体として、連邦行政組織下に組み込まれた。分離独立派は存在するが、帝政時代以前からロシア民族の移住が進んでおり、それぞれの民族の主体となる基幹民族の各共和国における割合が最大で4割くらいで、残りの大半がロシア民族となるため分離主義に一定の歯止め作用が働くので、チェチェンのような分離主義は現れ難い。

 ただし、民族固有の言語、宗教、文化を持つ国家としての塊が、レナやエニセイ、オビなどの流域に歴史的な時間軸を経て勃興して来たものであり、中央集権による統治枠からはみ出る部分が大きいように考える。

 ユーラシア大陸の広大な版図を占めるロシア連邦内に多くの民族固有文化が各地域に存在すると考えた方がよく、固有文化が固有言語と固有宗教を共有する一定規模の人口を有し、一定規模の固有の土地を占有した場合は国の定義とほぼ同一となってくる。

 因みにソビエト連邦崩壊時にタタールスタン共和国バシコルトスタン共和国チェチェン共和国と機を同じくして、共和国内の住民の賛同のもとサハ共和国も独立を志向したようだ。

 宴会場では、バター、黒パン、キャビアそれとアイスクリームを期待したが、残念ながらホテルのパーティー料理の域であった。一通り味見をしたがそれなりに旨かった。

 外食が一般化して日が浅く、地元の料理を堪能するためには地元の家庭料理を食べるしかないようだ。ロシア語を勉強して地元で友達を作り、彼らの文化に触れ、馬乳酒や子馬の馬肉料理やレナ川がもたらす魚料理などは、薄暮と暗闇の文化とともに、観光開発資源としてビジネスチャンスがありそうだ。

 彼女に再開したのは、ヤクーツクに戻り宿泊先のホテルから帰国のための準備をしているときであり、翌日の朝早く、1:15ヤクーツク発 5:45ウラジオストク着のシベリア・エアラインS76206 に搭乗予定しているときだった。

 夜の10時まではフリータイムとなるため、土産の購入でもしようかと、フロントで適当な土産物屋を聞いているときだった。