utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ19

 クルーズツアーの出航が日没前の19時なので、ほぼ日中の丸一日ヤクーツクでの時間待ちとなった。男は、クルーズまでは単独で行動することにしていた。念のための調整時間のようなものであったが、取り立てて特別にすることもなく時間を持て余し気味となった。宿泊先からすぐ近くに博物館があったので、ヤクーツクの公園を散歩がてら覗いてみることにした。

 昨日、ユリヤが引率してツアー客に見学させた、ヤロスラフスキー北方民俗歴史・文化博物館は、湖に沿った本通りから枝道に入り、この地方の教育大学に向かう途上に、黄金のトップシンボルを冠したロシア正教会を敷地内に配した、赤煉瓦の外壁で造られた小さな劇場のような外観の建物であった。冬季の暖房用の燃料パイプが敷地内に張り巡らされているので、道路とクロスするポイントでは大きく上方にフラットなアーチ状に跨ぐことで、積雪で生活面が上昇した場合の車高への対応している。ただし、そのアーチ状の燃料パイプには、美術館に纏わる紹介と共産国家のプロパガンダが施され、立派な門の体をなしていた。

 門をくぐると、美術館本体建物の前面にロータリーが作られ、その中央にはこの地方民族がこの地を訪れた来訪者に対する歓迎の意を表すモニュメントが設置されていた。

 男が、シベリアウルフの剥製の前で写真をとっていると、恰幅のいい海外旅行者の夫婦と目があった。挨拶すると、彼らは、男の身の上についていろいろと問い合わせて来た。2人はカナダ人夫婦であり、ユリヤのツアー客のようであった。男とロシアガイドの関係を知りたいような探りを入れているように、彼は肌身に感じ、極北に地で出会ったカトリック教徒夫妻に上目遣いに焦点を合わせていた。

 夫婦は、現在の彼らの国の首相と同じファミリーネイムのトルドーであり、ジョン・トルドーとメアリー・トルドーと名乗った。

 夫婦ともに60代の太り気味の仲の良さそうなカップルであり、メアリーが男の拙い和製英語の翻訳及び意訳をしてくれているようで、ジョンとは挨拶以外は直接会話はしなかった。2人は6ヶ月の長期旅行中であり、ロンドンからユリヤのツアー客となっていた。昨日の市内観光ツアーには、夕食場所で合流したようで、博物館めぐりが今日になっていた。

 男は、午前中かけてトルドー夫妻といっしょに館内を見て回る羽目になった。いっしょに廻ると言うより、極北の民ヤクートの民族と文化について、彼の知るところを披瀝することで、シベリアの成り立ちについての私見を開陳する見学ツアーとなっていた。

 公園の雑木林の小径を3人連れの観光客が散策していた。3人の頭上には蚊の群れが蚊遣りを形成し、歩く歩調に合わせて頭上の影も中空を移動した。

 こう言う場合にロシアの虫の被害に合うのは、どう言うわけなのか日本人である。蒙古班を共有する民族的な繋がりなのか、頭上に旋回する虫の群れは、彼らにとって一番価値のある血の在りかを求めて、彼らは種の生存のため、吸血する獲物選びをするために3人の頭上を飛び回るのであった。

 ロシア人の場合は、幼少期からダーチャで過ごす生活の中でしこたま血を吸われるため、虫の出す唾液に対する免疫耐性を獲得しており、虫に刺されてもほとんど気にしないようだ。

 ダーチャとは、都市生活者に対して、郊外に国からあてがわれた土地に別荘を建てて、週末などに土いじりをして過ごすところであり、故に自給自足の生活の避難施設を国民それぞれが持っていることになり、しぶとい国民性の基になっている。

 白い肌がところどころ赤みを帯びた、2人のカナダ人の言うところによると、ユリヤは優秀なツアーガイドであり、ツアー参加者全員に対して、ことのほか懇切丁寧な旅に対する応対をするが、私生活はベールに包まれており、本人自身余り語ろうとしないとのことであった。知的で健康的なロシア美人は彼等の息子世代の嫁にしたいくらいの評価であり、絶賛していた。

 カナダ人夫婦は、雑木林の茸の繁殖層に目を見張っていた。永久凍土の短い夏に精一杯息づく、菌類の繁茂の様を驚嘆の目で指摘し合っていた。

 3名の異邦人は、ランチをいっしょにすることになった。美術館の案内役をかってでた形になった、男に対する感謝の意として、ランチパーテイに招待したいと言うことであった。夕方から同じツアー参加者になることもあり、好意を受けることになった。

 ヤクーツク市内にある日本料理店に誘われたが、ツアーの船上ランチを同席することを約して別れた。シベリアまで来て、日本料理もないだろうと思った。ただし、シベリアの日本料理店は、味はさて置いて値段は高級レストラン級であり、人気店になっていると知り合いから聞いていた。

 ホテルに戻ると、ユリヤが男を待っていた。旅券の確認と今後の旅行日程との整合性を確認するために、彼がパスポートを預けていたので、その返却と日程確認をするためであった。但し、新たに持ち上がった、重大な問題の相談を携えて来ていた。