utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ20

 法隆寺宝物館は、正面の大きな透明なガラス面を両サイドからライムストーンの壁が支え、その前面に御影石で造作された浅い池が配置されている。建物と一体をなして造られた池の水面に、全面の透明な窓も含め両サイドの壁の姿が、博物館の正面玄関からの左手の小径を大きな楓などの広葉樹の下をくぐり抜けたとき、視界の中に水面浮かぶその写し絵に、視る者のこころを、シンメトリックに調和した安らぎを与え、正面入り口までの水面を渡る石畳の通路へと誘う均衡感を与える。

 いつもの通り、薄暗い展示室内で27体の阿弥陀仏に願掛けをしていた男のモバイルが震えた。

 男は展示室を後に、展示室と外界を仕切るガラス戸をくぐり抜けた。すると、透明な大広開の窓越しに水面の向こうの小径の辺りを観ると、女が立っていた。

 広葉樹の緑の葉陰に佇んで、此方を眺めている立ち姿が、黒田家御門の黒い色調を背景にして、薄手のピンク色をした花柄のワンピースに、鐔の大きな柔らかい曲線を描くベージュの帽子を真深く被った女が、蜻蛉目のサングラスを通して水面の向こう側を注視していた。大きなガラス越しのホールの中から女を見詰める目当ての男を探し当てていた。

 上京時、当日夕方からの丸の内での会議と、友人の会社への顔出し以外で、趣味的な博物館巡りと、上野浅草界隈の散策と洒落るが、豪商や財閥の庭園があったり、流行り歌に出てくる石畳の坂があったりと飽きが来ない。上野博物館は一定期間ごとに展示物が変わるので、また、半日では全てを回り切れない為、次に来るまでに展示終了となってしまう展示物について、要するに特定の任意展示物について博物館内巡りをいつの頃からかするようになっていた。そのとき役に立つのが、2ヶ月ごとに発行される館内案内冊子である。

 園内唯一飲食可能な平成館の休憩所で、コンビニで購入したおにぎりとお茶で遅い朝食を採りながら、当日の館内巡りの品定めをする。

 ある時案内冊子をめくっていると、アンケート形式の特別展招待を募集しているのに気付き、応募することになった。

 博物館の案内冊子最終ページにあった応募先にハガキで応募すると、すっかり忘れていた頃にペアの招待券が送られて来た。

『展示会の招待券あるけど、行く?』と女に問いかけると、

『はい、』上目遣いになって答えた。

 いつものホテルで待ち合わせ、いつものように赤ワインを1本呑み干し、銀座コージーのショートケーキ分け合って食べ、ルーティーンをこなした。

 夜中に目が覚めて、男の右側でバスローブの袖を両手で握りしめる女の寝姿をじっと見つめる男がいた。このまま行くと情が移りそうな危うさを男は感じはじめていた。女は白い寝まくらを背に男の右体側に挟まれるように、長い睫を伏せて眠りについていた。

 翌朝、博物館に行くかと男が念を押すと、女は頷いた。少し肌寒い寛永寺の墓地周りを2連れで歩いて、銀杏の黄色い落ち葉で敷き詰められた博物館を訪れた。

 ラインのやりとりでお互いの場所の確認をした。

 ーどこに行けばいいですか?ー

 ー正門入って左手の道ー

 ー法隆寺宝物館にいるー

 以前、一緒に来たことがあるので、博物館で待ち合わせすることになった。

 陽の高い時間に、女を白日のもとに晒して観るのは感慨深かった。前日夜の宿泊先を最近見つけた、バックパッカー用の簡易宿舎で泊まった。上野のお山の下あたりにあり、崖淵の階段を登れば寛永寺となり、博物館は緑が萌える公孫樹並木の葉陰の向こうに見えた。

 バックパッカー用のベッドルームは階段を上って3階となった。途中の階は女性専用らしく、入室時のドアロックキー解除が必要のようだった。部屋のドアーを開けると、80Kgはあるだろう立派な体格の浅黒い肌をした女性が、通路でトランクを床に開き荷繕いをしていた。少し行き交うのに邪魔になりそうで、互いに目があった。どこから来たのかと問うと、インドネシアから来た看護婦さんであり、日本観光3日目とのことであった。男のベッドは奥にある一室の入り口付近の上段であった。ベッド番号を確認して梯子を登ろうとすると、手を掴んで支える場所が見当たらない、しようがないので、先に放り込んだリュックをさらに奥に押し込み、体を梯子からかわすスペースを確保して、狭い寝床に乗り込んだ。小さな折り畳み式の棚があるが、どうやって起こすのかよく分からない。

 頭上のプライベートボックスの鍵の使い方がよく理解できないで、弄っているうちにロックしてしまい、フロントまで降りて解除してもらう羽目となった。

 部屋の入り口にユニット式シャワーが2台あり、透明なハッチを閉めて使用する方式で、珍し感満載の蛸部屋形式であり、ドミトリー方式と言うらしい。寝るだけなら充分であり、外人さんと気楽に会話できるのもいい。

 シャワーを使ってから、1階のフロント前のフリールームでタブレットを弄っていると、コンビニで仕入れた食材で夕食を作っている外人さんがいた。よく見れば、ピザトーストをトースターで焼く準備中いったところであった。

 玉ねぎをスライスしフランスパンの1片に敷き詰め、チーズを乗せてケチャップ塗り、なんとその上に生卵を落とし、曲芸師さながらトースターで焼き上げた。出来映えに満足したのか、口にする前に3D視線で確認したあと、旨そうに上手に食べていくのを観ていた。    無精ひげの男は、指先についたケチャップを舐めると、コーヒーカップに作ったコンソメスープを飲み干した。彼はスリムな20代の英国人であり、日本に来て3ヵ月の旅行者であった。語彙不足の男の英語はあまり通じず、同席していた安宿愛好者と思われる都心に勤めていると言う、流暢な英会話を操る20代の邦人女性と話し込んでいた。

 キャリアウーマン経由で、無精ひげの英国人の通訳をしてもらっているうちに、彼女とライン交換していた。

 朝、近くのコンビニでお茶とおにぎりを買って来て食べていると、20代の外国人男女のカップルがマップを広げて相談していた。どこに行くのかと問いかけると、日光に出かけ、その後鈴鹿サーキットに行くのだとのことであった。サーキットを走るのかと聞くと、男の方がメカニックだと答えた。サンフランシスコからの訪日観光客に以前住んだことのある地方の物知りとなって、少しお節介をしていた。

 日光湯葉の有名な店が東照宮へ掛かる赤い橋の袂辺りにあるので、是非寄ると日本観光の思い出になると勧めた。湯葉を英語で説明するのに少し困った。

 池の水面を蓮の葉が濃い緑で敷き詰め、所々茎の赤紫がアクセントになり、岸の遊歩道の際まで押し寄せている。陽は天頂から無風の水面を照らし、桟橋に藻やったボートは乗り手がなく、所在なげに浮かんでいた。

 博物館を出て、池の端まで公園を突っ切り、女の買い物につき合うことになった。途中、公園内の道端で大道芸人が竹笛を弾いていた。

 フォルクローレの調べが辺りに響き渡った。ケーニャが旋律をとり、竹筒の上端を一線に揃え、末端を放物線様に描いたポーニャが和音で合わせ、皮太鼓のボンボが低く乾いた音でリズムを叩いた。ストーリートミュジックの定番、コンドルは飛んでゆくが流れ出した。遠巻きに数人の通行人が足を止め聞きいっていた。しばらく、立ち止まって聞いていると。

 池の手前で女がこちら観ていた。

 女が,『払ってくれる?』と悪戯で試して来た。どうみても商売用の衣装なので、

『商売道具は自分で払え!』と反射的に 混ぜ返すと、女が黙って見据えていた。

 春日通りに出て湯島方面に向かって歩いた。ブティックにでも寄るのかとついて行くと意外な店に入った。さらについていくと、想定外の売場となった。

 久々に味わうタイトロープの一次元の世界を歩いていた。但し、踏み外せば、奈落の底の3次元となっていたのだろう。なんとか渡りきったようだった。

 昼食でも一緒にするつもりで呼び出したのだが、昼から用事で出掛けると言うので、昼前にお花の稽古に行くと言う女を上野駅まで送って別れた。夕方まで、時間を持て余すことになり、博物館の裏通りを下町巡りすることになった。

 博物館の裏手は、山手線の山側が広大な寛永寺の墓地になっており、鬼平犯科帳に出てくる谷中の墓地は、そこから日暮里駅までの途上に出て来るようだ。    寛永寺の根本中堂で写真を撮り、桜木町の交差点にある下町民族資料館に寄った。交差点の向こう側に喫茶店があり、店の前にベンチがあった。客らしい2人の中年女性が座って開店を待っているのに目が止まった。開店待ちの観光客を見つけて、名店なのかと店内を覗いてみると、マスターらしき男と窓越しに目が合った。店のメニューが大きく掲示してあり、甘党目当ての店のようだった。

 桜木町界隈は、嘗て豪商などが妾宅を構える土地柄とか、何かの文章で知っていた。いまでも名残があるかと意味もなく、家の表札を観て回って家相判断していたようだ。ベンツが複数台駐車場にあったりして、お金持ちが住んでるのかと土地柄観を納得した。地元で行き交う女性は皆さん愛人かなと詮索したくなり、不思議感に惑う。

 夕方、東京を離れるとき、今から帰ると女にラインで連絡すると、

ー 気を付けて帰って下さい ー

といつもと変わらない反応があった。

 女に会って肌を交えず別れた男のこころに、小さな棘の痛みが残った上京となった。