utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ21

 ヤクーツク市はレナ川西岸のかつての大河の氾濫原に位置している。意外であるが、レナ川以東カムチャッカ半島までのユーラシア大陸は北米プレートの一部である。川の西側はクラトンを形成し、エニセイ川が西側の境界域辺りになり、南限はバイカル湖付近となる。ほぼ、シベリア中央部の民族歴史の中で、騎兵軍団国家が勃興した領域以北のユーラシア大陸中央部全域を占める地域がシベリアクラトンと言うことになる。

 クラトンとはプレートテクトニクス以前から存在した大陸ブロックのようなもので、悠久の時間軸の中でマントル対流によって離合集散することで、2億5千万年以前の原生代に現在ある全ての大陸が一つに集まった、パンゲアなどの超大陸を作ってきたと考えられるている。クラトンとは、カンブリア期の造山活動以前から存在した超保守的な安定した大地と言うことになる。因みに、年代測定の科学的な発達する以前は、地質層をカンブリア期以前は先カンブリア期とひとまとめに大別していた。地質層を種別する根源は生物の痕跡としての化石が含まれる地層を遡ることであり、それが出来るのがカンブリア期までであり、それ以前は層別の手立てを見つけることができない。生物化石とは古代の地球の海に大繁殖した三葉虫などのことと言うことになる。

 壮大な地球の営みは、シベリア山岳民族エバンキの神話の世界でマンモスがその牙で地底の土塊を地上にぶん投げ、ジャブダルがその巨体をうねらせ、地平に順化するように均した世界観とよく似合っている。土塊をクラトンに読み替えれば、天地創造プレートテクトニクスそのものとなる。

 ベーリング海峡を挟んで北米大陸ユーラシア大陸は嘗て地続きであったが、太平洋プレートが北米大陸の下に潜り込んだ影響で、ベーリング海峡直下も沈み込みが発生することとなり、現代は間氷期の温暖化による海面上昇となり、地続き部分が海没して海峡が形成されることになった。

 大陸プレートの沈み込みラインで日本列島沖合いから樺太沿岸部を経由してベーリング海まで北上する裂け目が日本海溝となる。推理作家による日本沈没のネタの起源は、この日本海溝の最深部の異変の発見から始まるが、最新科学の見るところでは日本海側のユーラシアプレートが日本列島の真下への沈み込みと群発地震の発生が話題となって来ている。現在のプレートの沈み込み具合は比較的初期段階であるが、今後沈み込みの傾斜がさらに進み、数百万年後には完全に海溝になるようだ。

 ユーラシア大陸の大河の流れを俯瞰すると、異質のクラトンの境界域に地上の裂け目が出来やすく、結果としてその領域に沿って大河が発達している。限定された領域に出現した大河の流れは、自ずから互いに本流及び支流で近接するポイントが発生することになる。そしてその近接ポイントで水運が運河や舟の陸路運送などにより連結すると、シベリアを舟で縦横断可能となる。ヨロッパで毛皮を採り尽くした、ロシアの毛皮貿易商人は私兵によるシベリアの収奪を、発達した水運を利用することで短期間に成し遂げた。先兵となったのは私兵のコサック兵であり、その後ロシア王朝はシベリアのイスラム国家シビルハン国を滅ぼし、清の弱体時期に正規軍をシベリアに送り込み、外モンゴルを手に入れ、沿海州まで南下する事になる。 

 ユーラシア大陸で勃興した騎馬民族の軍団移動は馬によるところが大きいが、その兵站を支えたのが大陸を縦横断可能にした河川による水運なのだろうと考えれば納得がいく。

 どちらかと言えばレナ川の東岸側が持ち上がり、ヤクーツク市側が沈むベクトルが働いている地域であり悠久の時間軸の世界では、沈む側の三日月湖が付近に多数存在する風景の中に、30万人口の都市が存在していることになる。市中にも大小の三日月湖が散在していることになり、市域の樹木は育つ条件を満たしているが、永久凍土上の表土層は痩せた土地なので樹木は大きく育たない。この土地で人が生活圏を広げる場合のルールとして、息づいている植生を保護するため、建物は樹木の生育圏を外して建てられている。ひとと樹木が共生した自然界にやさしい町の営みと言える。厳しい自然環境を生き抜くためのヤクートの知恵が、樹木を大切にする文化を形成して来たと考えられる。

 レナ川の氾濫原とヤクーツク市の境界線にある三日月湖に沿って走る、ウーリツァ・チェルンイシェフスコヴォ通りを黄色いタクシーで急いだ。ホテルに戻るとユリヤから伝言が届いていた。元々、ホテルで待ち合わせをしていたので、カナダ人夫婦の昼食の誘いを断っていた。午後一番に、ユリヤとクルーズツアーの最終確認をすることになっていた。

 宿泊先ホテルのフロントで渡されたメモで、マフタルで昼食に招待したいので、現地まで来て欲しいと綺麗な日本語の手紙となっていた。但し、全てが大らかなひらがな文で書いてあり、シベリアの地で万葉の恋文を読む平安のおのこの気分になっていた。朝食後すぐに出掛けた男と入れ違いに来た女はホテルでしばらく待っていたようだが、メモを残して引き返していた。

 マフタルはヤクーツク市中心部からレナ川河畔寄りにあり、この都市で有名なヤクート料理が味わえる民族レストランである。

 待ち合わせの時間を少し過ぎて目的の店の前でタクシーを降り、300ルーブル支払った。市内道路は舗装されてはいるが、永久凍土の上に生活圏を立てているため、土台自体の凍った地面が溶ければ歪みが発生するためか、日本で施されているような道路中央を高くして、雨水の水はけのための傾斜をつけたりしていない。雨が降れば、辺り中に水溜まりができ自然蒸発に任せるようで、道路端の水はけ用の側溝などもない、でこぼこ感満載の埃っぽい街である。陽は山並みの上辺りを周回中であり、21時過ぎないと日没とならないので、陽を遮る天候にならない限り、大地の熱量循環が日中20時間余りプラスとなるため、気温は30度を超えることもあるが、天候次第で零下にもなってしまう。

 階段を登って店のバンガロー仕立てのドアをあけると、アンティーク感溢れる室内が広がっていた。板張りの床は磨きがかかり、木造りのテーブルと手作り感の溢れた木の椅が4脚ずつ部屋の4隅に配置され、奥の部屋は大部屋仕立てに成っているようだった。天井は丸太の桟で仕切られた柾目板張りとなっており、大柄のロシア人には高さが気になる圧迫感があるが、極寒の地の真冬の厳しい環境に対応する上ではいたしかないのであろう。ホールは全体がそれぞれの小部屋に分かれており、家具自体の彩りが明るい色調であり重厚感には欠けるが、冬の闇が長いので単調になりがちな身の回りに彩りを添える効果を出しているのだろう。

 ユリヤは、店の入り口が見渡せる壁際のテーブルに陣取って、現在の最大の問題について、どのように男に話したものか考え倦んでいた。ただし、相手に納得して貰うしかないことであり、それ以外どうにもならないことであることは確かであった。

 女は入り口のドアーが開く気配を感じ、椅子から立ち上がり一歩を踏み出した。

 ピンク系ベージュ単色のドレープワンピースを纏った女の左腰辺りにある絞りが、彼女のシルエットを緩やかになぞって、その布地で包み込む女の起伏をより魅力的に表現し、雄を惹きつけ、見るものの心に圧倒的な誘引効果を発揮していた。クルーズ船の出発時に際して催されるパーティー用に着込んだ、ドレッシーなユリヤの姿に男の目は釘付けとなった。豊かな胸の膨らみと白い肌がドレープの隙間から覗いている。彼女の唯一の美的欠点である、大き過ぎる腸骨の出っ張りはベージュの緩やかな布が目立たなく補正しているので、逆に雄を受け止め更に圧倒する魔力を放っていた。ツアーの引率者として振る舞う活動的なジーンズ姿も彼女の魅力を十分に引き出しているが、目の前の神々しい姿はジャブダルの化身となって、ベージュの襞に魔力を帯び、世の中の全ての男を跪かせ、かしづかせるフェロモンを放っていた。

 ユリヤが持ち込んだ重大問題は、男にとっては非常に好都合な、望んでもなかなか与えられない、日本狼にとっては恰好の餌場の提供となった。クルーズ船会社がモスクワでのキャセル情報をもとに、カナダ人夫婦のツアー参加を決めており、ダブルブッキングが発生してしまい、ユリヤが当地で募集したツアー参加者の行き場がなくなってしまった。

 男の帰国便は深夜の夜明け以前にウラジオストクに向けて飛び立っており、ビザ自体の変更も手配済みとなっていた。ツアー会社で抑えている船室は6室で、ツアー参加者が5室とガイド用の1室、キャンセルが発生したのはスイートルームで、ユリヤが元々ガイド用にリザーブした部屋は新しく船会社が募集したカナダ人夫婦の部屋となり、ユリヤがキャンセルが発生したスイートルームを使用することになっていた。キャンセルが発生した時点で、ガイド用の部屋がグレードアップしたため、客とガイドの部屋の割当に主客転倒が発生していた。

 ユリヤの説明を纏めると、12日間同室で寝起きすることになるが我慢して頂けないかと言うことであり、追加料金は請求しないと言うものであった。

 ベッドも一緒になるのかと疑問が湧いたが、敵地深く橋頭堡を築くまとないチャンスが転がり込んで来たと男は考えた。そして呪文を掛けた。

 ー Это совсем не проблема ー

ユリヤは青い瞳で男の顔をまじまじと見据えていた。

 ー Я хочу съесть стейк с детьми ー

 ユリヤの奢りで昼食のテーブルを囲んだ。何を食べたいかと問われ、子馬のステーキをリクエストした。彼女は日本語で話そうとし、男は呪文をかけ続けた。

 

 Я вас любил : любовь ещё, быть может ,

 В душе моем угасла не совсем;

 Но пусты она вас больше не тревожит;

 Я не хочу печалйть вас ничем.

 Я вас любил беэмолавно,беэнадежнао,

 То робстью,то ревностью томйм;

 Я вас любил так искренно,так нежно,

 Как дай вам бог любимой.

 

 男はひとつ覚えの、若い妻のために行った決闘に命を落としたロシアの詩人の詩を吟じ続けた。