utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ25

 ブロンドの髪を黒いシュシュでアップに巻いて、紺のニットの帽子の中に纏め込んでいた。デニムの短パンに白い下肢が眩しい、黒のタンクトップに上下お揃いのデニムジャケットを羽織り、ゴールドのネックレスに大粒のダイヤがひとつアクセントとなっていた。女の胸元に夏の光が輝きを点してしていた。ガイド役を勤めるユリヤは、ブーツだけは頑丈そうな登山靴を厚手のソックスの上に履いている。シベリアの森は藪蚊の群生地であり、素肌を晒して大丈夫なのかと問いかけると、幼児時期からダーチャで育っており、蚊に刺されても免疫があるようで、問題ないと笑っていた。招待客は完全に肌を覆い、その上から防虫スプレーで防御しているので、その対比が妙であり、ことさら彼女の存在感が増していた。

 ダーチャとは都市生活者の郊外家庭菜園付き別荘であり、都会人は都市生活基盤の他に週末や夏休みなどの長期休暇に家族で過ごす場所を社会制度として持っている。ある意味、国の経済基盤から隔離されて、自給自足できる個人的な避難施設とも言え、ロシア国民の渋とさの源泉とも言える。

 フェリーボートから川岸に降り立った乗客達を民族衣装の集団が出迎えた。草原のエクスカーションイベントである。標高200メートルを越す石柱群の麓で、現地の村人による出張昼食会が本日のメインイベントとなっていた。ただし、現地といってもここから100km以上は下流域の村となる。

 ユリヤが参加者を引き連れて、石柱群を見上げる下まで導き出し、希望者をその頂上まで案内するようだ。上から眺めたタイガの原生林と眼下に森を流れ尽くすレナ川を是非観て欲しいとの説明をしていた。ときどき、彼女が視線を投げかけて来るのが分かった。ついて来るようにと念を押しているのが知れた。

 男の話すロシア語は、ここでは殆ど通用しなかったが、観光慣れした現地人との英語のカタコトによる会話が可能であることを理解した。そこで、別の隊に同行して、原生林に踏み込んでみたい衝動に駆られた。しかし、ユリヤがベッドで言ったことを思い出した。『迷子になると基本的に置いていかれるので、わたしから決して離れてはいけない。』と言われていた。男の軽はずみな身勝手さを心得ている、ガイド役としての言質であった。仕方なく、彼女が案内する集団の最後尾に付いて、急な登山道を30分程休憩無しで登り切ると、シベリア大地の圧倒的な視界が開けた。

 陽は目線の高さで森の上空に輝いている。これ以上の高度は上がらず、周回して、沈んでいくのだろう。森がどこまでも続いていた。川が行くあてもないようにゆったりと濃い緑をした樹林の世界を包み込むように流れ、河口に向かって続いているのだろう。息を呑む圧倒的な絶景がそこにあった。

『あなた達はどういう関係になるの?』とメアリー・トルドーが尋ねた。メアリーは、ユリアに問いかけ、深い眼差しで男に視線を移した。男は、スープをスプンで口に運びながら、上目遣いで問い掛ける相手の目を見返した。

『それはみんなの大問題なんだ!』とジョン・トルドーが男に視線を投げた。

 昼食後夕方まで、ガイドごとに別れて、タイガの原生林を散策した。ただし、同じコースの終点と始点に別れて逆行したり、長距離組と短距離組に分類された規定の見学コースを選択して回っているようだった。ユリアが採用した散策路は、森の最深部までの案内となっており、参加者を十分満足させるものとなった。男は、遅れないようにシベリアの森に蠢く生き物たちを目に捉えながら最後尾を歩いた。半日のイベント後、船に戻ってシャワーを浴びた後、トルドー夫妻から夕食に招待されていた。ヤクーツクの民族博物館で世話になった御礼とのことであったが、実際はユリアの引率するツアー客の話題の中心となっている、男と女の関係を解き明かす目的となっていた。

 男は、目の前のトルドー夫妻だけでなく、旅の仲間の視線を感じた。彼らは男の一挙手一投足に目を配り、一言一句を聞き漏らすまいと、聞き耳をそばだているようだ。

 ユリアを見れば、素知らぬ振りでワイングラスに唇をつけているのが見えた。

 よく見れば、女の口が何か言っている。繰り返している無言の口の動きが見えた。

 心の中で反芻すると、   『5文字だ』

『日本語だ』

『・・・・・』

さて、どうしたものかと、テーブルに姿勢を糺して観客席全員に微笑んだ。