utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ7

ウラジオストクに着いたのは、国内空港を出発して3時間ほど陽に向かって飛び進んだ行程後であった。フライトは羽田空港を昼過ぎに離陸後、東京湾を旋回したのち、横田空域を右旋回で高度を上げ、ウラジオストクまでの大圏コースをとるべく、日本アルプスを縦断して日本海に出た。そして、日本海上空で針路を北にとり巡航飛行に入った。乱気流による揺れは全くなく、静かな雲の上で夕陽を追いかける空の旅となった。

本来、北関東の県庁所在地郊外に位置する地方空港からヤクーツクまでのチャーター便に搭乗するツアーであった。その空港は、地方行政からお荷物事業所としての色彩が強く、その活性化対策として、肝いりでインバウンド需要開拓を推し進められていた。

 空港運営活性化の目玉事業として誘致したLLC事業が、米国と中国2国間の貿易戦争の煽りをくい、雲行きが怪しくなって来ていた。それまでのドル箱路線であった、東京近隣圏地方空港として、首都圏内からアクセスの良さを利点として、韓国ソウル間格安航空運賃が韓流ブーム下の女性層等におおいに受け繁盛していた。しかし、ドル箱路線が日韓関係の最悪化もあり、ある日突然胡散霧消してしまった。その穴埋め策のひとつとして、不採算地方空港事業に地獄の血の池に降りた蜘蛛の糸のように、極北の永久凍土の国からの航空需要開拓すべく直行便乗り入れの話しが舞い込んで来た。
 それは特別に着陸料を免除された優遇措置の恩恵を持つチャーター便として、コストパフォーマンス及び、共産圏社会の経済的効率性を維持するために、非効率な側面を大衆に課す社会構造が生み出したとの印象が強い、理不尽極まる中継地空港内での待機時間を利用者に押し付けた、資本主義社会では到底許容されず排除もしくは改善されるであろう、中継地空港内の長時間に渡るトランジットを伴わない、圧倒的旅程時間短縮をされ、特別募集された、地方空港が業績回復に一縷の望みをかけた所謂テストフライトであった。