utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ22

 外苑前から続く銀杏並木は夜明けの冷たい雨に打たれていた。ひとひらふたひらと小糠雨のキャンバスに一筆書きを描いて、風に舞う黒い影が歩道に舞い降りると男の足元で街灯の明かりの中に照らしだされて、黄色い落ち葉に豹変した。

 女が職場の同僚とヨーロッパ旅行中に上京した。いつものルーチンをこなしていたが物足りなさを感じていた。宿泊先は、最近見つけた上野の崖下のバックパッカー用の安宿にした。出会いの楽しみがあり、海外からの観光客との興味深い会話が期待出来き、博物館も近いので頗る便利であった。

 纏まった一人きりの時間が持てたので、以前から気になっていた、流行り歌に出てくる坂を目指して、不忍池の中央部を突っ切った。池の中央部が神社になっており、参拝するための鳥居をくぐり抜け、横道から神社を迂回すると、池の向こう岸に続く、神のお渡りのような参道が水面を分けて続いていた。行き着いた先で左右どちらに行けばよいのか、目的地のある方向を見失いそうになったが、なんとか広い通りを渡ると見るからに石畳の坂と解る辺りに出た。路なりに石畳を登り始め周りをよく見れば、国立大の付属看護学校が右手に出て来た辺りで記憶が蘇った。

 湯島で女と会って、朝彼女の車で上野まで車を飛ばしたときに通った石畳であることに気づいた。慣れた運転手が時間を気にする女の指示でアップダウンを繰り返し、ここから上野駅の前を通過して、坂を登って寛永寺の脇まで行ったのを覚えていた。あのときは、最終的にどこで別れたのかはっきり思い出せない。早朝の慌ただしい路を何かに急いでいたような気がする。美容院に行くと言う女を送ったのであれば、終着点は美容院の前だったのだろう。  女から昼食を一緒にしないかと誘われたが、昨夜からの充足感に上塗りするような重さを感じて断ったのを覚えていた。

 傾斜のきつい石畳の坂を上がりきり、左手の道を生け垣に沿ってしばらくいくと、目当ての岩崎弥太郎の邸宅が黄色く色付いた大きな銀杏の木の下に、順番待ちのロープが張られたもぎり所とともに現れた。見るからに立派な黄色い大樹をスナップショットに一枚とって引っ返した。三菱記念館でトイレを借りたついでに、館内を見学した。この財閥の基礎を作ったのは、日本に於ける商船運輸業を明治の初期に立ち上げ、後に管制郵便事業を一手に請け負い、さらに西南の役では兵員輸送を請け負った功績なのか、現在の丸の内界隈の土地払い下げを受けたのが、岩崎弥太郎のようだ。さらに驚くことには、払い下げ代金は国からの借入金で賄い、毎月少しずつ長期に渡り返済したようだ。その返済帳簿がガラスケースに収まって展示されていた。

 石段の坂道を降りかけ、不忍池方面に向かおうとしていたとき、モバイルが震えた。馴染みのないハンドル名でメッセージが入っていた。

 先日、バックパッカーの宿で通訳をしてもらったキャリアウーマンからのメッセージであった。知り合いを紹介したいので、次の上京日時を知りたいとの問い合わせであった。

 人物評価をしてもらえないかと言うような内容であり、紹介者の事業の評価をして欲しいとの内容であった。

 事業の評価をするのなら、過去向こう3年のキャッシュフローが説明出来るようなものを用意してもらうのが条件だと伝えてあったが、男が上京しているのを見当をつけての問い合わせのようで、不忍池付近に居る旨伝えると、本日午後からでも会えないだろうかとの連絡が入って来た。先方で昼食を一緒にしないかとの展開となり、女の居ない寂しさの性なのか、そのまま受けることになっていた。

 待ち合わせは浅草駅の構内としたが、上野駅から地下鉄に乗り、浅草で降り立ったはいいが、不慣れな場所で待ち合わせ相手を見つけられなく困っていると、目の前に急に見覚えのある丸い小顔の笑顔が現れた。

『ご苦労さまです。』

『セッティング場所は橋の袂ですので、上に出て直ぐなので、』

『あなたの仕事は大丈夫なの?』

『仕事みたいなものですし、このくらいの裁量はとれますので、』

『市場調査のようなものとも言えるので、』と化粧っけのない20代の若い肌の表面に黄金色の産毛が輝いていた。

 丸の内界隈の外資系商社勤務と言う触れ込みであった。女は哲学を自己流にアレンジした『なんとなく哲子の会』と言う教化団体を主催しており、自らの場を持っている性なのか、歳の割に重心が安定した物腰をしていた。子供時代を所謂飯場で育ち、年長者に囲まれて育ったせいか、男との年齢格差をいともたやすく見事に飛び越えて来た。男手でひとつで育て上げられた性なのか、虫や蛇などは遊び道具として馴染んでおり、歳の離れた異性も子供の頃親しんだ遊び道具の延長上に在るようだった。

 駒形橋の脇に古めいた煉瓦の壁の中を螺旋階段のステップを上がりきると、会場仕立ての天井の高い明るい部屋に出た。テーブルが並んでアイランド状になっており、透明な袋に小分けされた食材が並んでいた。奥に食堂仕立てのキッチンがあり、透明なアクリル板で仕切られていた。アイランドテーブルの食材ごとには説明書きの入ったアイキャッチが敷設されており、店舗独自通貨による交換が可能のようであった。

 店舗自体の運営は、経営者とボランティアによる運営となっており、ボランティアで店舗運営に携わることで、店舗独自通貨が発行される仕組みのようだった。ボランティアによる運営が完全実施されることで、独自通貨が発行されるとともに、店舗内の商品が売れることが約束されると言う、人件費が掛からないため、商品自体も安く供給可能であり、商品自体の製造をボランティアが関わっていることになるので、イニシャルコストと店舗間借り代金が出れば、永久機関のように店舗運営が回り続けることになるので、ある意味で講に似たビジネスモデルであった。

 日々の勤務申請をクラウド化しており、ボランティアが勤務シフトの空き状況を確認して、勤務希望日をエントリーするようにしていた。

 経営者自体がIT技術に明るいので、クラウドを利用して事業を回す効率性をとことん追求しており、有機栽培のオーガニック信者がボランティアの主体となっており、よく設計されたビジネスモデルだと感心した。

 後で知ることになったのだが、この有機野菜分配システムに参加するには、入会金をイニシャルコストとして出資させており、入会後は店舗運営に関わることで、独自通貨が発行され、有機野菜との交換が行われビジネスフローが1サイクル回る仕組みになるようだ。

 男がこれから会う相手の事業の品定めをしている間、平政五郎は透明なパテーションの向こう側から菊川冴子から紹介された投資家であると言う男の品定めをしていた。

クラウドファンディングで資金を集めてはどうですか?』と平政吾郎からの出資依頼へ男が反応をかえした。

『集めた額の20パーセント以上抜かれるのがなんとも、』と平政が苦笑いした。要するに、彼のビジネスをネタにして、調達総額の2割抜かれるのが気に食わないのだった。

『出資金として資金調達出来るんですよ!』と男は言い切った。要するに返す必要のない出資金であり、借金でないことを認識すべきであると混ぜ返した。

『それに数秒間で資金調達出来る!』と続け、

『リスクは大勢で分散した方がよい、』と男は結論づけた。

『直接企業への投資はしないんですか?』と平政が尋ねると、

『インキュベータ経由の方が安全性担保出来るので、』と返答して、男はキャッシュフロー計算書眺めた後、上目使いに平政の顔にフォーカスした。

『いくら調達したいの?』と男が問い掛けた。

『3千万』

『いつまでに、』

『今月末です。』切迫感のある申し出であり、掛け値なしの事実がキャッシュフロー計算書に表されているのかと、初対面の相手に手のうちをさらけ出している度胸に、男は感心した。

『じゃ、探してみますので、あてにせず待っててください。』

『先方から直接連絡を入れて貰いますので、』

 2人のやり取りを菊川冴子は黙って眺めていた。男は、翌日大阪でベンチャー企業の集まりに参加する予定になっていたので、そこで紹介すれば連絡ぐらいは入る目当てがあった。とっかかりを付けて、あとは受け手側の腕しだいと値踏みしていた。自らにリスクを負うのではないことと、紹介者にとっては切り取り次第のリスクテイクなのだから自己責任の世界観として完結していた。

 名刺を渡された男は、いつものように名刺を持っていない旨を伝えた。相手がこのハードルを超えて更に、男への興味を持ち続けないと、男の懐には入れないという、男と外界を隔てるファイアウォールになっていた。

 このベンチャー企業の今後数年のキャッシュフローの推移を見ていた。現在までの資金調達を確認すると、以前起業したデザイン会社をバイアウトした一時所得をいままでの3年でほぼ食い潰す恰好となっており、今後の運転資金の出所が怪しくなって来ていた。月ごとに100万円弱の店舗料が赤字計上されていく財務推移となっており、砂漠に水を注いでいる状態となっていた。

 湯船の中で女の二の腕の湯が小さく丸まって、若い肌に生え揃った産毛状の黄金の毛の上を面白いように流れ走った。男は、自分の肩の辺りにへばり付くように肌に張り付いた、同じ湯の有り様を見て二人の年齢差を嗤った。

 バスローブを羽織って、ベッドサイドのテーブル席に腰を降ろした。バスタブ内で歳甲斐もなく子供に返って湯を掛け合って、2人でじゃれあったことが新鮮であった。この後どうしたものか躊躇して、冷蔵庫のビールを飲み始めた。いつもなら、赤のワインを飲んで女の湯上がりを待つ時間帯であり、その後は女に任せていればよかった。

 浅草で菊川冴子と別れて、夕方信濃町で待ち合わせすることになった。本日のお礼をしたいとのことで、彼女の退社時間に合わせて、絵画館前の銀杏並木を散策する約束をして別れた。平政吾郎の有機野菜普及パーティーに彼女も参加しており、特にIT技術者としての平政の技量に尊敬に近い人物評価を持っていた。彼女が男の人となりを平政に話したところ、是非とも会って話がしたいと言うことになったようだ。運転資金が底をつきかけており、新しい資金提供者を探していたと言うところだったのだろう。ただ、どう見ても事業の再構築を行わないことにはじり貧の末路が確実であった。

 夕暮れ時に絵画館前の銀杏並木に面したイタリア料理店で待ち合わせ、軽い食事とワインで夕食会となった。食事の間中上気した冴子はよく喋った。彼女の生い立ちなどを開陳して来る態度の中に、男に対する好意が含まれていることが肌身に感じられ、軽い驚きを感じていた。食事後に青山通りまでそぞろ歩き、地下鉄の駅で別れる積もりでいた。飲み足りないような冴子の素振りで、腰を据えて落ち着いたところで飲もうと言うことになった。普段泊まらない少しグレードの高いホテルで宿泊する事になった。日本を代表する銀行の系列ホテルであり、高級感漂うレストランが併設されており、窓際の席から外苑の森が都会の夜の中で身を縮めたようにうずくまっている様子が遠くまで見渡せた。

 都会の夜と冴子の華やいだ若さを眺めて、ソルテイドッグの杯を重ねた。部屋は万一を考えてダブルでとってあったが、気が付けば冴子とバスルームでじゃれあっていた。

 朝目覚めると、ベッドの隣は空となっており、ビールを呑んでいるうちに不覚にも寝入ってしまったようだった。

 ベッドサイドの小物置きに置いたスマホを手に取ると、冴子からメッセージが残されていた。

ーおはよございます。昨晩は大変楽しゅうございました。ー

ーまた、さそってください!お誘いを心よりお待ちしております。ー

 ひとりの男が寝入る横でバスローブ姿の冴子とのスナップショットが添付されていた。

 男がホテルのフロントで追加分の清算しようとすると、

『お連れの方に精算いただいております。』との返事が返って来た。暗然とした気持ちになったが、気を取り直して早朝の街に踏み出していた。明け方に通り雨が降ったようで、暗闇の中に蠢く黒い影があちらこちらから男の注視を誘った。

 外苑前から続く銀杏並木は夜明けの冷たい雨に打たれていた。ひとひらふたひらと小糠雨のキャンバスに一筆書きを描いて、風に舞う黒い影が歩道に舞い降りると男の足元で街灯の明かりの中に照らしだされ、彼の心に巣くう物の怪に豹変しようとしていた。