utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ18

 ホテルの部屋でビールを飲んでいた。女が来るのは17時過ぎの約束なので、15時に駅に着き時間を持て余した。だいたいの見当をつけて、駅前の裏道をこの町の中央に流れる運河を目指して歩いた。ひとの流れは無く通りの店もシャッターを締めて閉店のところが目立った。その日の宿を探すのにも苦労した。世の中全般に自粛モードが引かれており、デートで使う夕食のレストランを探すのにも苦労しそうであった。

 女から電話連絡が入ったのは想定外であった。部屋番号はラインで教えていたので、部屋に行けないと言う理由がよく分からなかった。とにかくフロントまで降りて来て欲しいと言うので、しかたなく降りて行くと、ロングドレスに着飾った女がエレベーターホールの植栽の陰に心細げに立ちすくんでいた。どうみても、このホテルから10分程歩いた辺りに繁華街あるので、その辺りのホステスさんが出張営業して来たように見える。ホテルのフロントでエレベーターを使おうとした女は、ホテルマンの制止を受けたようだった。

 出張営業禁止と言うとこなのだろう。普段着でも目立つロシア美人がキャバクラドレスを着込んで、タクシーでシテイーホテルに乗り着けた格好になっていた。

 外はまだ明るく、ビジネス街の勤め帰りの男数人が話をしながら、駅方面に向かって歩いていた。並んで歩くのを躊躇していると、真っ赤な単色のロングドレスを着込んだ女は、男の右側から腕を組んで来た。払いのける分けにもいかないので、意を決めて女のなすがままに、ひとの流れの中に入った。

『どうしたのその格好?』

『昔、アルバイトをしてたとき着てたドレスです。』

『わたしがきれいな方がいいでしょ?』

と念を押して来た。横断歩道を渡り路地に入り、夕食をする店を物色しながら、夕暮れの街をそぞろ歩いた。水商売のホステスが同伴客と連れ立って歩くには時間帯が早すぎるし、繁華街からも離れ過ぎていた。人通りも少ないので、人目を気にする必要もなく、シャッターの閉まった通りを不釣り合いな男女ペアが食事場所を求めて彷徨った。

 2人ともにこの町の異邦人なので、少し大胆になっているのだろうとそのときはそう思っていた。

 彼女の流暢な日本語を聞いていると、外見とのギャップで妙な気分になるのだが、男が短い日常会話くらいしか、女の母国語を使えないのもあり、また、相手は仕事場の延長上ともいえなくない分けであり、彼自身がマーケットサーベイの対象者になっていると考えれば問題ないことになる。

 日本人が乱れた母国語を使っているので、女が操る流暢な大和ことばのイントネーションに聞きほれて、異次元の世界にいるような気分になってしまう。

 しばらく、運河の石畳を散歩することにした。人気がなさそうなので、派手な真っ赤なロングドレス連れにはちょうど良かった。交差点の際に遊歩道に降りる石の階段があった。運河沿いの遊歩道は、通り側に開いた店舗の階下フロアーとして、営業している店の遊歩道からの入口辺りに小さな立て看板が運河に沿って並んでいた。

 先に遊歩道まで降りて辺りを確認したあと、石段を見上げると、ロングドレスにハイヒールに正装した女が石段の足元を気にして、自らの足を踏み出せずいた。躊躇しているの女のところまで引き返し、ウエストに右手を添え肩に左手を預けさせた。普段はスニーカーなので、男を先導するように道案内でもするように振る舞うのだが、勝手が違うようだ。

 2人で遊歩道に立つと、丁度遊歩道の石畳に敷設されているフットライトが一斉にオレンジの灯りを灯した。誰かが恋人達のために灯したように、暖かいオレンジ色の灯が2人の足元を仄かに照らした。

 女と男が目を合わせて笑った。ロマンチックな遊歩道のフットライトは、辺りの照度に反応する自律スイッチで作動しているのだろう。辺り一帯の商店街は自制休業中なのだが、天使のスイッチを消し忘れたようだった。

 明かりが灯っている店は少なかった。開店している店は、ドリンクバーやコーヒーショップであり、夕食をするためのレストランはほぼすべて休業状態であるようだ。男は当てが外れ、夕闇の中オレンジの雲に乗ったように、石畳の先を往く女の後ろ姿をレンブラントが描いたような陰影の中に女を配して眺めていた。

『ここ綺麗ね!』と足元から帯びたオレンジのグラデーションの光の中に黒い影となったドレスを身にまとった女が振り向いて言った。

『知り合いのお店あります、』

『近くなの?』

『車で10分くらいです。』

『じゃ、そうしよう!』となった。ボルシチウオッカもいいかと男は思った。

 その店は、ホテル街の裏道へ入る入り口付近にあった。ロシア料理店かと推量したのは早計であった。ずいぶん構えの立派な、全体にくすみがかった歴史を感じさせる、中国料理店であった。

 本通りに出て、行き交うタクシーを止め女を先に乗り込ませようとしたが、イブニングドレスとヒールを纏った彼女が、体を後部座席の奥にスライドするのは無理があるので、男が奥に座り彼女を受け止める形になった。柔らかい生身の暖かさが薄い布地越しにここちよい、女も身体を遠慮なく預けながら、運転手に道案内をしていた。

『おばあちゃんが中国人です、』

『ハルピンに住んでます、』

『アルバイトで貯めたお金でハルピンにマンション買いました、』

 目当ての店に着くと、顔見知りのように店員を交渉相手に、早口の中国語で矢継ぎ早に料理を注文している女を唖然として男は見ていた。しばらくすると、2人の卓にはどう考えても食べきれないほどの料理が並んでいった。

  Эа встречу ! 

 特別仕立ての豚バラの焼き肉は脂の質がよいらしく、肉自体に甘みがあり仄かな柑橘系の香りがあり大層旨かった。グラスの暖かい紹興酒に黒砂糖を入れて女の母国語で乾杯をして、杯を重ね時は流れた。

 バスローブを纏って、ベッドで寝ている状態で気がついた。傍らに同じものを着た女が微かに寝息を立ている。男の左腕の袖を控えめに両手で上と下から掴んだ状態で寄り添うような寝姿となっていた。

 男は、ずいぶん酒を飲んだようで、どうやって宿泊先のホテルに戻ったのかを余り覚えていなかった。断片的に、タクシーの車内から見える街の明かりが行き過ぎるのを覚えていた。エスコート側が酔うわけにもいかないので、なんとか宿泊先までは自力で戻ってきたようだった。

 何かこころに澱のようなものが残っていた。暗い部屋の中を目だけで追ってベッド端を覗き込んだとき、気にかかっていたものが赤いドレスであるのにいきついた。すると、捩れた糸が解けるように、部屋に戻った前後の記憶が蘇ってきた。

 

『ドレスが台無しになるよ!』と男言うと、

『大丈夫です。』と酔いに目の下辺りを薄く赤らめた女が、男の目の中に映る自らの姿を確かめるように虚ろに答えた。

 女は、蒼い瞳孔を目一杯に大きく開いて、身じろぎせず見上げていた。

 彼と会うために着てきたドレスだと言外に言ってるのかと男は理解した。

 Есть ли большой? 

 Ты просто прав

 ベッドの際にドレスと揃いの真っ赤なヒールが不揃いに脱ぎ捨てられていた。