utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ16

 『どうして、彼はブロックチェーンのシステムの説明しないでいいと言うのか?』とユリヤが尋ねた。

 彼女が請け負った通訳ビジネスの場に、見知らぬ日本人がいること自体にも違和感を感じていた。

『ブロック・チェーンの会社の紹介者が彼なんです。』と宥めるように関山基子が返答した。

 男自身は、ここに同席してもいいのだろうかと判断しかねていた。ただし、美貌の通訳士の仕事ぶりを見てみたい、興味が大いに沸いていたし、行きがかりでそのような舞台に上がってしまったと言うより、回転舞台が回って、気が付いたら舞台の中央にいたと言う心境であった。

 男は、この企業の株主に出すのだと言う案内状の原稿を読んでいた。

 久しぶりに見た女のスタイルの変貌ぶりに驚いた。小柄な女がすらりと、黒縁の眼鏡をかけて、白のブラウスにチェスでも出来そうな紺と灰色のベスト、黒いタイトスカートに、黒いヒールで男の前に現れた。

『痩せたね!』と男が両手を広げて驚いてみせると、

『そうですか?』と声がうわずって、まんざらでもなさそうな自信を見せながら、女は手にした書類を男に手渡した。

 関山基子から校正して欲しいと依頼され、手渡された文章を読み終えての感想を指摘した。最初にどんな対象に出す案内文なのかを確認した。主要な株主で前年度の総会開催時に一任状を集めた対象であった。プロキシーファイトを前提に電話による議事の委任依頼した相手であり、生身の彼女の声を通して思いを伝えた相手であった。こまごまとした説明をするべきでなく、また、装飾された言葉は不要であり、具現化されていない将来の夢を語るより、頑張ってやっていると言う思いを素直に相手に伝えるべきだとの主旨で、宝飾品鑑定システム化の説明部分は不要であり、邪魔であると指摘した。

 トランスレイターとして、そのあとスカイプを介して行われる会議に参加する予定のユリア・ミハイロビナ・ソトニコフは、2人のやりとりをテーブルの向かい側の席から興味深く見ていた。

 彼女の身の回りで知っている、控え目で自らの感情の起伏を積極的に表現しようとしない、この国の男達とは異なるその男の振る舞いに、女のこころの奥底にある情の湖が小さく波打った。女性を誉め讃え上げる嘘がまぶされたやさしい言葉に包まれて、目の前の関山基子の心の内の満ち足りた充実感を懐かしく嫉妬した。女は、嫉妬している自分自身に惑いを感じた。

 男は、完成したシステムの開示は問題ないが、稼働もしていないこの企業肝いりのネタを総会の場に晒すことの危うさを感じていた。

 総会を主催する側として、すべきことは総会に付託した議案を通すことであり、まずは総会を成立させる為に必要な議決権数が必要であり、議案を通す為には賛成株主数を集めることであった。

 年次報告が法律に則って正しく報告されていればよく、付託された議案を通すために、絵に描いた餅が如何に立派に描けてもしようがない、要するに過半数の株主からの委任状を手に入れて、恙なく議事進行する以外は不要である。

 最低限の報告をして、議案を通す為に何を成すべきかを考えるべきであると考えていた。余分なことに費やすエネルギーがあるのなら、商取引の環境設定などやることはいくらでもあるはずだとの考えであった。当事者でないことが、インサイダーでない視点を持ち得ることとなり、その場の成すべきことがより見通せていた。

 総会で現在の努力していることを説明をするより、実態を整えることがより重要であり、それが全てに優先するはずとの考えであった。

 ガラス越しに東京駅前丸の内界隈が春の日差しに眩しく、赤煉瓦のドームが両翼を広げ、背景として泰然と和田倉噴水公園の向こうに皇居を拝して開けていた。高層階から見下ろしたロータリーには人はまばらだが、ひとの流れの主流は路面下の地下に隠されてしまっていると見た方がよい。

 地下に潜ると迷路のような地下街を通して目的地にたどり着くには、この近くに勤めているか、定期的に特定の場所へ通い慣れているものでない限り、地上から目的地を目指して歩いた方が無難である。信号が変わり、数人が駅側から横断歩道を渡りはじめた。観光客が皇居方面に向かって歩いているか、お洒落なカフェテラスなど目当ての散策であろうかと、高層階フロアのエッジに出現した小さな日溜まりの中から、ひとりの男が眺めていた。

 彼が、朝10時に開催された出資先企業の株主総会に出席して、新丸ビルのエレベーターから1階で降り、左に折れて行き止まりを右手に向かうと、行く手上方の大きなモニターにCNNのニュースが流れていた。

 マリナーズのイチロウが東京ドーム最終戦後に引退表明したと英語のテロップが流れ、インタビューに答えるイチロウは日本語で会見していた。

 モバイルがジーンズのポケット内で震えた。

 ラインに昼から会社に寄って欲しいが都合がつくかの問い合わせであった。関山基子の会社で急遽開催される会議に参加して欲しいとの控え目なテキストがどうにか都合をつけて来て欲しいと主張していた。夕方の新宿から帰宅する予定以外は、上京時の趣味で博物館での鑑賞と、馴染みのイタリアンレストランで昼食をするくらいなので、どうにでもなるが、とりあえず帰りの便の予約取り消しがぎりぎり間に合いそうなので、そうすることにした。

 昼めしは浅草橋で最近みつけた馴染みの店の姉妹店が頭にすぐ浮かんだ。一度利用して味を確かめようと思っていた店である。両国に友人の会社が在ったときは、昼過ぎに、駅を降りてすぐの高架下にある、日銭稼ぎスタイルのお気に入りの店で腹ごしらえした後に、目当ての会社の自社ビルまで10分ほどの道中を、下町の枝道を選んで歩いた。途中には馬車道があり、鬼平犯科帳の軍鶏鍋屋のモデルとなった店の在ったと言う、江戸時代には川端であった、首都高速道を見上げる石造りの橋の袂に立て札が立っていたりする。街角のショーウインドには珍しい小物類が展示されていたりして、飽きが来ない風情を持った、得体の知れない街並みを歩くのが楽しくもあった。

 事務所のドアを開けると、交渉相手であるベンチャー企業の30代の経営者と技術者と思われる20代後半の男がテーブルについており、関山基子が彼女の横の席に男を促した。

『初対面ですよね?』と立ち上がって、交渉相手が名刺入れを開いた状態で、男に確認して来た。

クラウドシステムのプレゼン聞きました。』と男が相手を見上げて言うと、

『どこで?』と想定外の展開に戸惑いを表す薄笑いが相手の表情の中に走った。

新丸ビルベンチャー企業の集まりでプレゼンの後に名刺貰ってますよ、』と立ち尽くすような素振りの相手を見据えた。

 男の意味合いが通じたらしく、相手は連れの技術者に目配せで何らかの合図をしたと男は感じ、露払いは済んだなと判断した。

『Mさん居ないけど、進めていいの?』と男がこの場の会社側代表である関山基子に確認すると、

『はじめてください。Mさん後から参加出来ると思います。』

 1時間ほどかけて、男が把握出来ている範囲内で、システムの具体的な概要を聞き込んだ。男が要件書らしきものをテキスト化し関山基子に渡したが、それを先方に渡したと聞いていた。テキスト送付後、先方から改めてシステム開発書が提出されて、それに則って開発途上であり、デモ版が納品されていた。バックエンドで稼働させるサーバー仕様と設置場所及び、拡張性とそれに伴う開発費とランニングコストをミニマムから最適稼働規模まで確認した。

 開発費は無償で、維持費の妥当性を確認するのが男の役割のようであった。開発したシステムの業界における独占使用権を認めさせ、この会社が持つ共産圏での権益で商売をして、自ら稼いだ方がビジネスになると第3者の立場で意見した。

 要するに値切倒した。一応、要求額を半値にし、特許権を渡す代わりに業界内のみの独占使用権を認めさせた。一般的に言って、関東人は交渉ごとで提示された見積もりを値切らない、関西で仕事した経験のある男は、交渉相手に少しの利幅を残して値切ることに長けていた。

 晩秋の日暮れは突然のように、気づいた時には人の影絵を長くして、足早に夜の帳を引いてしまう。事務所の窓から見渡せる向かい側のアスレチックスジムの大きな硝子の壁が茜色に染まっていた。隣り合う鳥越神社の黄色く色づいた銀杏の葉が夕凪にはらはらと舞っていた。

 スカイプ越しに、現地語での問いかけを日本語に訳すだけではどうも通訳者は務まらないようだ、ロシア語のやりとりを見ていると、仲介者としての機能の方が通訳者の能力以上に必要であると感じた。聡明で知的な応対を要求される仲介役によるその場やりとりを、通訳者本人の価値観で解釈した内容に基づいて、日本語でクライアント側に理解できるレベルに噛み砕いて聞き返し、確認を取りながら、翻訳しているさまを身近で確認する事になった。

 現地弁護士とのやりとりを仲介翻訳しようとすると、法律上の用語や、争議の内容に関わる業界用語についても通訳する事になるが、いちいち全ての語彙を確認していたら、会議自体進まなくなってしまうため、一区切りついた後、疑問点を列挙して、その部分はロシア人としての見解でどう訳したかをクライアント側に提示して確認をとっていた。

 会議は1時間ほどで、クライアント側の満足いく内容で終わったようだった。ただし、そのあと展開した、男の目の前で見せた彼女のバイタリテイに目を見張ることとなった。

 ユリアが徐にMの席に近づくと、何処からか取り出した小さな袋から冷たい光を放つ数粒の透明なルースを手元で広げた紺色の柔らかそうな布の上に撒くように晒した。

 その刹那、女は天然ダイヤモンドのブローカーへと変身していた。小さな布の上で輝く宝石はどれも1カラット以上あるようで、品定めを依頼しているようであった。しばらく、2人で話し合っていたが、ルース自体の値踏みをしてもらっているようだ。仕入れたルートや鑑定書の有無を確認していたように見えた。通訳業の生業の奥深さを、金色のフェロモンを湛えるロングの髪と、目の奥から見据える蒼い瞳を持つ女がひとり生きてゆくための術を、どのようにその糧を調達して来たのかを男は垣間見た気がした。

 男は、女が帰り仕度をするとき、宝石の入った子袋を自身の肌身にしまい込むのを見逃さなかった。手持ちの皮のバックからコンパクトを取り出し、化粧崩れがないかを確認し、フード付きの灰色のベストを黒のニットセーターの上に羽織りながら、腰の辺りで絞りのある色落ちしたジーンズジャケットを着込んだ。問題の子袋は黒のニットセーターの胸の谷間あたりにしまい込んだようだった。

 ポニーテールに纏めていた黒いシュシュから解放された、金色の髪はジャケットの肩あたりに波打ち、灰色のフードの中で匂いたつような色香とともにとぐろを巻いていた。そして、その波打つフェロモンのストリームは女自信の手によって黒い呪縛の中に絡め捕られてしまった。

 男が、ユリヤの帰り際に、さようならとロシア語で挨拶すると、切れ長い目尻に研ぎ澄まされた微笑みを溜めた女は、一瞬相手に注視を返してから、ロシア語で挨拶を返した。

『もう、2人で話してる!』と2人のやりとりをそばで聞いていた関山基子が感嘆の声あげた。

『彼はロシア語勉強してます。』とユリヤが言いわけをしていた。

 男は女2人のやりとりを見ていた。この場でロシア語を介して意志疎通出来るのは男と彼女だけなのかと悟った。

Почему ты посмотрел на меня?

Потому что ты красивая

 ロシアの女性と結婚すると、夫は妻に対して、日々妻の美しさを讃え続けなければいけないらしい。人生の内大半を占めてしまう夜の長いロシアの日常で、彼女達は蝶よ花よと褒め讃えれることで、モノトーンで単調になりがちな黒い影が隣り合う生活のなかに、自らの生き甲斐を感じる生き物のようだ。

 無造作にポニーテールにまとめた金髪の女が、男の前を通りすがら、彼から視線を外した状態で独り言のように男に問いかけた。男は、彼女が通訳業を務める間中、彼女の横顔に食い入るように熱い視線を投げ続けた理由を、2人だけの言葉で、美貌のブローカーに悪戯っぽく開陳していた。

 そのとき、男の視線は目の前の女の白い、獲物を注視する爬虫類の化身のように研ぎ澄まされた、透き通った横顔に魅入られたままとなっていた。

待ち合わせ15

 温暖化が進むと、北極海及び南極の氷が海に溶け出て海面上昇が起こると言うモデリングをしてみると、以下のような概要となるようだ。

 まず、極北の海は海水が大気との温度循環で、大気と接する海面が冷やされることで比重が増し、海中深度2mくらいまでの表層域に冷水塊が生まれ、マイナス2度に到達したときに凍結点に達する。続いて、海水が固体化する段階で、海水が内包する塩分の3分の2を海氷外に吐き出し、3分の1を海氷内に残した状態で凍結する。すると海氷の比重は周りより小さくなるので、浮力を持ち海面上に顔を出す。この大気と海面の温度循環が繰り返されることで、海氷の材料が生産され続けることになり、海面を覆う海氷原が造られる。海面を覆う海氷原は固体なので、大気との温度循環は放射による循環となるため、流体状態の海面と海中間の対流がなくなる。結果、個体状態の保存性が頗る増すことになった、保守的な性状を伴う海氷原が出来上がる。  他方、南極海に浮かぶ氷山は南極大陸に積もった雪が圧縮され氷河となって、海中に押し出されたものであるため、真水の凍った塊が海上に浮かんでいるとモデル化して大勢把握可能である。  北極海は、ユーラシアと北米の両大陸にほぼ囲まれた内海のようにみえるが、最深度は数千mを越える海盆となっている。地球規模でみれば、海全体の4%を占めるだけの内海のような閉ざされぎみの海洋が、大陸が大気との水の循環で創造した地球全体の10%の淡水を大陸流域河川からの流入水量として受け入れることになり、ざっと考えても北極海の塩分濃度は他の海洋と比較して、海氷外に排出された3分の2の塩分を考慮しても、大陸河川から流れ出る大量の淡水で希釈されることから、表層海の塩分濃度がそれなりに薄いだろうことが容易に想像できる。  北極海の塩分濃度がより小さい海とは、比重が小さい分大気循環による温暖効果が他の海洋より暖まりやすいかと言えばそうでもない。それは北極海のほぼ全域の表面を覆う海氷原は個体なので、大気との温度循環を放射で行うため、先に述べた通り対流循環を伴う海洋と較べて頗る非効率な大気との温度循環となっている。  北極海の海氷原を溶かすに足る熱循環を考えたとき、スカンジナビア半島沿岸を北上してスバーバル諸島で2経路に分流して北極海に至る、メキシコ湾流が能力的には十分であるが、北極海を囲む両大陸の大陸棚に沿って、反時計回りに深海を循環して、グリーンランド東沿岸で海表面に顔を出すので、北極海の塩分濃度が薄く比重がより小さく浮力を伴う海水が表層海を形成し、比重が大きく浮力をなくして沈降するしかない、高温の海流が海底域でとぐろ巻いていることになり、海面に浮かぶ海氷を溶かす循環は起こらないようだ。

 大気と海洋の温度循環による、北極圏の海氷溶融による、地球規模の海面上昇を考えたとき、大気循環による溶融を考えるより以上に、海流の北極圏循環の環境変化による影響力の方がすこぶる大きそうであり、環境問題としての視点が必要となって来る。

 行く手の川面に乳白色の濃い霧が壁のように立ちはだかっていた。レナ川クルーズ船ミハイロフ・スヴェトロフ号は怯むことなく航路を白い異次元の入り口に定めた。

 夏季に、レナ川はヤクーツク以北を流れるとき、それ以前の高低差のある山間部を流れ切るさまから、川幅を広げシベリアのツンドラ地帯を極北の山岳民族エバンキの創造神、大蛇のジャブダルのごとく、低湿地のタイガの森を征圧し、北極海に通じる巨大な入り江であるラプラテ湾をも圧倒的な時間軸の中でデルタの形成をし尽くすことで席巻している。この視点では、創造神の化身であるレナを流れる川の水は永久凍土により一定の低温効果下に保たれているのだが、北極圏の入り江に達することで、海氷原が後退した遠浅の河口付近で大洋の影響下となる。ただし、海水と混濁することなく互いの浸透圧差により塩分濃度の均衡をとるが、海水温が上昇した表層水の下に潜り込む。水温4℃前後のシベリア大地の低温様態を維持することは、比重が極値をとるため浮力を失い沈降してしまう。

 シベリアの永久凍土の冷たい大地を切り裂くように、氷の冷たさを維持して流れた後、比重により重い塩水の中で、その身の塩分濃度は海水側に傾斜するが、遠浅の河口付近で水温の差により海水の下に潜り込み、創造神由来の純潔さを保とうとしていた。

 霧の発生メカニズムは、温度差のある複数の水蒸気帯が接する地点で、温度の低い側が高い側の水蒸気を凝結させ、水滴が空中に浮遊することがはじまりとなる。温度差のある境界面で水蒸気凝結が高密度発生することで霧が発生する。

 レナが永久凍土を切り裂きながら、低温効果を維持した状態で、海水の下に潜り込む地点で、夜明けの太陽が大気の熱量をプラスに転換するとき、海洋表面の水蒸気飽和点が釣り上がり、包含する水蒸気量が大きくなったところで、冷たいレナ川の水面と遭遇する。その刹那、密度の高い水蒸気の凝結が短時間で一斉に、冷水の流れが潜り込む境界面で発生することで、乳白色の水蒸気の壁が川の水面に立ち上がった。

 デッキに出た時点では、霧の壁は船の舳先の向こう側に存在していたが、川の流れが止まったように、その静寂の世界を滑るように浮きながら、現世界が白い幽界の中に埋没していった。

 スイートルームで眠る女の逞しい、アナコンダのような太腿に体を巻きつかれた残像が意識の中に残っていた。本来は自らの姿を第3者視点からリアルな映像で確認することは、映像装置でそのような視点で視聴可能にしない限り見ることは出来ないのだが、その痴態を確かに映像音声と共に感じているのだった。その余韻を視界不能なレナの静寂な流れの上に漂いながら反芻していた。

 幻想的なオレンジ色に染め抜かれた極北の夕暮れ、ヤクーツクの街角は薄暮の21時を過ぎていた。5時間もすれば日の出となる。宿泊先のホテルに戻って、空港への出発準備に取りかからなくてはと考えていた。

 沈む陽の向こう側から、誰かの名前を呼ぶ聞き覚えのあるアルトの音源に向かって男が振り向くと、頭上に天使の輪っかを帯びた影絵が獲物を注視していた。頑丈そうな不釣り合いを呈した幅広の腸骨に、スリムなボディーを体現した見覚えのある女が、逆光のフレアで縁取りされたシルエットの中から、形のよい口元に総ての雄を魅了するに十分な微笑みを浮かべて、もののけの手が届いてしまいそうな間合いに入っていた。

 風の凪いだ、オレンジ色に染まった街の影が長く伸びきっていた。

 А что будет
 Вы знаете, что это ?

 Нет не получая

 同じ闇の中に潜む赤黒い先の割れたジャブダルの舌が蠢いていることに、誰も気づいていなかった。

待ち合わせ 只今準備中かな~

週1話完結のオムニバス形式でショートショートを書いてましたが、暫くお休みします。主人公の設定と脇役が生まれてきたので、ストーリー展開をしてゆくのに、主題はおぼろげながらあるのですが、行ったことないユーラシアを駆けめぐるとなると、下調べしないと背景描写とかがいい加減になるので、既視感が乏しくなってしまうかなとなりました。

 あと、右脳を働かせていると左脳がおやすみなさいを連発するので、ソースコードがいじれません。実は、4月から右脳イングできてるのも、夜間処理のバッチプログラムが4月から動き始め、余裕時間が生まれ、その空き時間で物語作りが出来るようになっています。

 2ヶ月テストランして、使えそうなのでバージョンアップ作業をする必要があるので、2週間お休みとなります。とりあえずの2週間休筆宣言なので、実質2日もあればバッチプログラムのバージョンアップ出来ると思っていますが、作り込みはじめると、あれもしたい、これもしたいと可能性を追ってしまう性分なので、改修期間はあってないようなもの、また会う日までかな~

待ち合わせ14

ダスビ・ダーニャなら通じるだろうとの考えにたどり着いた。いろいろ考え倦んで、とりあえず通じるだろう別れの挨拶の単語を、彼女の帰り際に投げかけてみることに心を決めた。

 クライアントから要求されたタスクを十分に果たし、自らの個人的なビジネスの延長線上のちょっとした商売が付加されていた。そのちょっとしたブローカービジネスは、彼女の思い通りにはならなかった。しかし、彼女のしたたたかさと頼もしいビジネスパートナーとしての信頼感を対峙するクライアント側に与える効果を伴っていた。

 金髪のロングを無造作にポニーテールに後ろで纏め、ブルージーンにボディーラインをなぞった黒のニットセーター、その上にジーズのジャケット    最初に出会ったとき思わずみとれた。彼女のすべてがわたしの身近な世界観を凌駕していた。彼女がワークする間中、スカイプ越しに現地人弁護士と邦人企業の代表者とのやり取りを通訳をするさまを見ていた。いや、彼女の鋭利な横顔に見とれていた、いや魅入られていた。

 午前中に博物館に寄って、当日の最低限の日課を終えたあと、アメ横の通りを人並みの流れに抗して歩み、JR御徒町駅の辺りで山手線の下をくぐり抜けて、蔵前通りに平行した、下町枝道を浅草橋を目指してぶらついた。

 アポイントメントをとっていなかったので、面会相手がいない場合も想定できるが、その場合は両国あたりを散策すればよいと考えていた。先方が必要とする場合は連絡してくるであろうし、順調に進んでいるのであろうと考えていた。

『ロシア語の勉強してます。』と初対面のロシア語通訳の女の興味を引くために餌を撒いた。

『何でも聞いて下さい、何でも大丈夫です。』と女は、日本人の男に対するいろはで応対した。    女は初対面の男を見据え、社交事礼の笑みを口元に溜め、彼女の仕事場で声をかけてきた男がクライアントとどのような関係者なのだろうか、どのように対応することがベターなのだろうかと評価していた。

 ロシア語、英語、日本語と北方系の中国語を流暢に操るアラフォーのロシア美人の切れ長の目尻にアイラインが鋭利な顔の作りにアクセントを際立たせている。日本の国籍も持っており、ロシアのパスポートより、オレンジ色の日本のそれの方が世界を旅するのに都合がすこぶる便利だろうことが容易理解出来るため、元夫の日本国籍に離婚後も入っていることは理屈が通ることであった。

 ユリアと言う名前をはじめ覚えるのに、一時期流行った漫画の主人公の恋人役の名前と同じであったので、漫画の主人公を思い出しては彼女の名前まで辿り着いていた。要するに、『ケンシロー』を頭に浮かべ、『ユリア』に変換していた。なにかのとき、印象に残った彼女の端正な横顔をふと思い出すと、北斗の拳が登場して、彼女に行き着いた。たまには敵役の『ラオー』から彼女の名前に行き着き、切れ長の鋭い目尻を思い出していた。

 ユリアと言う名前は古代ローマでユリウスから来るユリウス家の女を表す愛称であり、ローマ皇帝ユリウス・シーザーに通じ、英語圏ではジュリアとなる。ユリウス・アウグスチウスもローマ皇帝になっているので、皇帝家の娘と言うような感じなのだから、高貴な響きを持つ呼び名となる。ウクライナやドイツ地方に多いと聞くので、東ローマ帝国の版図と重なり、その帝国がオスマントルコの隆盛により衰退する過程で、東ローマ帝国の文化面はカトリック正教会が宗教とともにロシアの大地に待避していったと見れないこともなく、ローマ帝国の皇帝家の娘の名がロシアの大地に移植されたと考えれば合点がいく。

 女本人からすれば、名前は生まれたときに本人の意識が芽生える以前に、親族よって命名される。ロシア人の名前は3つの部分からなり、娘の名前の中に父親の呪文が込められている。その呪文とは、名前+父称+苗字となり、ユリア・ミハイロビナ・ソトニコフと言う名前の場合は、ソトニコフ・ミハイロフの娘であるユリアと言うことになるらしい。名前の構成要素のうち2番目のミハイロビナとはミハイロフ+ビナがミハイロビナと、父名ミハイロフの末尾のフの撥音便が無音化され、娘の場合がビナとなり、息子の場合はビッチとなる。

 ロシアに生まれてきた娘は、父親が彼女自身の名前によって呼び覚まされるように、セカンドネームとなり彼女を生涯に渡り、そして墓に入った後も背後霊のごとく、呪文となり封印され名前の中で生き続けるようだ。

 彼女と初めての出会いは、鳥越神社の銀杏の木が黄色く色づき始めた季節に、友人の病完治の願掛けをした後に訪れた、ベンチャー企業の一室で行われたその企業の命運をかけた会議に行きがかり上同席したときのことであった。

待ち合わせ13

 フェリーボートの船上から対岸の150mから300mにも及ぶ、巨大な石柱群による景観が延々と繰り広げられた。まるで儀仗兵が整列するような景観を前に乗客達は強い夏の太陽の光の所業に極北の旅行で、あと緯度で4度北上すれば北極圏に入るタイガ地帯ですごしていることを忘れ、感嘆の声を上げた。ここから川の流れにそって、3日も下れば森林限界線を越え、ツンドラ地帯経て北極圏入りとなる。

 船上甲板の体感温度は35℃を超えていた。ただし、湿度は低いので直射日光を遮ることができれば、思ったほど苦痛ではない。日中の高温である時間帯は短く、朝夕は冷え込む日中の寒暖差が30度はあり、日本の高温多湿から来る肌表面からの発汗機能に蓋をするような重苦しい不快感はなく、日中の直射日光を遮る何らかの対策をするか、さもなくば高温時間帯をオミットしてしまえば、日中が長いので比較的過ごしやすい旅となってしまう。

 石柱群は、カンブリア紀の深海で形成された粘板岩を含む堆積地層が隆起し、極地の100度に及ぶ年間の寒暖差による地表に発生したひび割れに水が侵入する事で、浸水流入穿孔に沿って、氷結膨張による土壌崩壊が進み周囲より堅い地層が最終的に残ったものである。そして、レナ川が地表面へ露出した崩壊域土壌を浸食することでラプラテ湾まで運び、河口域に巨大なデルタを形成する材料を悠久の時間軸の中で提供したことになる。

 ヤクーツク空港で深夜の1時に衝撃的なランディングを経験し、しばらくは着地時の激しい体験に呆然としている間に日が昇り、夏の強い陽に照り輝くエアバスSSJ100の頑丈そうな機能性重視の車輪装置を見つめるばかりであった。しかし、団体で来ているツアーなので、決められた旅程がぎっしり計画されており、呆然自失の落下傘隊員もあれよあれよのうちにレナ川の船着き場まで行き着き、そこから半日ほど川を遡って、ユネスコ登録の国際自然遺産、レンスキエ・ストルブイ自然公園の見学を伴う現地行政組織による歓迎会が実施される船上の客となっていた。

 共和国大統領による歓迎式典の開会が宣言され、引き続き歓迎の言葉が述べられた。視察団長による返礼の言葉が日本語で述べられ、通訳者によりロシア語に訳された。その後も視察団に参加している有力議員と思われる日本側の視察の意義など盛りだくさんに振る舞われ、その都度、通訳者によりロシア語に翻訳され現地参加者に紹介されていた。友好親善の夕食会が薄暮の中に催され、商機を狙う両国の鵜の目鷹の目の持ち主による名刺交換へと移っていった。

 よく見ていると、現地人ビジネスマンは片言の日本語で対応しているのに比べて、日本人側は日本語のままなのを見ていると、遙々シベリアの地に商機を見つけに来たにしては準備不足が否めないのではとの印象を受けた。もともと、多民族が陸続きで国を接して来た歴史的背景からすると、大陸に生き残った民族の生命力のような強さを改めて感じた。生存環境が厳しいことから来るのか、人懐っこい民族的特質をロシア人全般に感じるが、顔の作りがほぼ日本人的な頬高で目の細い作りから来る親近感を助長するので、あとは言葉が通じればと考えてしまうのわたしだけではあるまい。

 ロシアは大統領制連邦国家であり、住民による直接選挙により国家元首を選ぶ、その国家元首である大統領が首相及び連邦行政組織の各省庁のトップ人事権を行使することで各大臣を任命し、連邦国家の行政運営を行う。連邦を組む各共和国も以前は住民による直接選挙で大統領を選んでいたが、連邦組織運営の長である首相と共和国の大統領の従属関係が微妙になって来た。メドベージェフが大統領時代にロシア憲法上で共和国の大統領を規定したときから、共和国の直接選挙で選ばれるのではなく、連邦政府が元首を任命し、共和国議会で承認する形となり、より連邦政府を中心とする中央集権化がすすみ、首長と呼換えるようなって来ている。

 ソビエト連邦時代からロシア民族が主要な国土内に他民族によるナーテイヤと言う自治共和国ナロードノスチと言う自治州、プレーミヤと言う自治管区が人口や占有地域規模により層別識別化され存在しており、ソビエト連邦崩壊時に現在のロシア連邦内の自治権を持つ共和国の母体として、連邦行政組織下に組み込まれた。分離独立派は存在するが、帝政時代以前からロシア民族の移住が進んでおり、それぞれの民族の主体となる基幹民族の各共和国における割合が最大で4割くらいで、残りの大半がロシア民族となるため分離主義に一定の歯止め作用が働くので、チェチェンのような分離主義は現れ難い。

 ただし、民族固有の言語、宗教、文化を持つ国家としての塊が、レナやエニセイ、オビなどの流域に歴史的な時間軸を経て勃興して来たものであり、中央集権による統治枠からはみ出る部分が大きいように考える。

 ユーラシア大陸の広大な版図を占めるロシア連邦内に多くの民族固有文化が各地域に存在すると考えた方がよく、固有文化が固有言語と固有宗教を共有する一定規模の人口を有し、一定規模の固有の土地を占有した場合は国の定義とほぼ同一となってくる。

 因みにソビエト連邦崩壊時にタタールスタン共和国バシコルトスタン共和国チェチェン共和国と機を同じくして、共和国内の住民の賛同のもとサハ共和国も独立を志向したようだ。

 宴会場では、バター、黒パン、キャビアそれとアイスクリームを期待したが、残念ながらホテルのパーティー料理の域であった。一通り味見をしたがそれなりに旨かった。

 外食が一般化して日が浅く、地元の料理を堪能するためには地元の家庭料理を食べるしかないようだ。ロシア語を勉強して地元で友達を作り、彼らの文化に触れ、馬乳酒や子馬の馬肉料理やレナ川がもたらす魚料理などは、薄暮と暗闇の文化とともに、観光開発資源としてビジネスチャンスがありそうだ。

 彼女に再開したのは、ヤクーツクに戻り宿泊先のホテルから帰国のための準備をしているときであり、翌日の朝早く、1:15ヤクーツク発 5:45ウラジオストク着のシベリア・エアラインS76206 に搭乗予定しているときだった。

 夜の10時まではフリータイムとなるため、土産の購入でもしようかと、フロントで適当な土産物屋を聞いているときだった。

 

待ち合わせ12

 コツンコツンと床を叩く4ビートの硬質音がフロアー全体に遠く響いていた。しばらくすると、コツコツコツコツと8ビートにアップテンポされ、捕獲行動を伴う女の歩調と同期していった。

 空港入国ゲートをくぐってすぐのポールフェンス制限区域越しに、出迎える人の群れを背にした辺り、待合い用のボックスチェアーに待ち人が数人疎らに座席を利用ていた。

 入国手続きは、フォリナー数人の最後尾に並んで数分待ったが、審査自体は女性検査官が数秒間の一瞥とパスポート審査のみで終了した。

 その国の入国ゲートを見渡した。早朝6時20分であり、約束した時刻には40分ほど早いので、どこで時間潰しをするか思案した。

 アップステアーズの珈琲ショップから、階下フロアーを見下ろせる縁際に席をとり、人の流れを見ていることにした。朝早いのもあって、航空会社のカウンターが一部しか開いておらず、空港全体が未だ目覚めていなかった。泊まり込み組と思われる数人の集団が、早朝便の搭乗手続き待ちでそれぞれの航空会社の前で列を作っている。ここからは待ち合わせエリア全体が見渡せるので、待ち人と行き違いになることはないと考えてのことだった。

 7時を過ぎたら待ち合わせ場所まで降りる予定だったが、広く見渡せるので、彼女が歩いて来るのを見つけだし、それから降りても十分間に合うと思っていた。階下の広場中央の時刻表示は6:28を表示している。

 サウナが階下にあるのを思い出し、昨晩からの汗を流すことにした。席を立とうとして、念のため階下を見渡そうとしたとき、テラスとしてフロアーから突き出したした壁の堰堤部分に動くものを見つけた。小さな緑いろをした虫のようだった。数匹が絡み合って鞠のようになり蠢いていた。一匹なら何かで叩き潰すのだが、後始末の面倒を考え手を止めていた。

 男が窓際のテーブルを離れて店の出口に向かおうとしているとき、白い表面がごつごつした堰堤の上で、小さな緑色の鎌が一斉に男の背に向かって、擡げられたのを誰も気付かなかった。

 コツコツコツコツとリズミカルな足音が近ずいて、男の目の前辺りで停止した。

 待ち合わせ用のスペースに腰を下ろし、スマホの画面を操作している視線の延長線上、下を向いた視界の中に黒革のショートブーツに目が止まり、ピンヒールの裏地の赤に惹きつけられた。

 蟷螂のようなもののけが口を大きく開け赤い喉もとを晒し、床の下から何か叫んでいるようにル・ブタンのヒール・ブーツが男の正面で停止した。

 男は、上目遣いで足元から目の前にいるだろう異国のガールフレンドの見覚えのあるスタイルを下から仰ぎ見るかたちとなった。女が硬質なヒールに支えられた腰高の姿勢を維持しながら、ジーンズに納めた膝を落とし、オリーブ色のレザージャケットを着た上体を右側に捻って、右手で長い髪を後ろ手で支え、男の顔を覗き込んだ。男は、怪訝な表情で眉根を寄せて、女の瞳の中に彼自身の写像を捉えた。

 1年6ヶ月振りに女の母国での再会であった。

『このまえを2かいとおった』と鋭い視線で男をフォーカスして、

『あなたわたしわからなかったか?』とひらがな読みの日本語で女が詰問した。話し声とスタイルは男が知っている女にちがいないのだが、見知らぬ顔をしていた。

 彼女が休日を利用して車で空港まで迎えに来ると言う段取りで、早朝4時半羽田発仁川行きの航空便を利用する事になった。

 彼女曰わく、

『みんなそのひこうきでかえってくる』とのことであった。

 その国の人間が勧めるフライト便なのだから便利で都合がいいのであろうと考えてそうすることにした。

 はじめに困ったことは、その便を利用するための空港までの公共交通機関をどうするのか?と言う問題が発生した。

 山手線は動いてないし、始発の私鉄なども調べてみたがうまくない、ではリムジンバスのようなものは無いか?と考えあぐねて、空港ビルに最終間際の山手線とゆりかもめで乗り付け、空港待合い室で夜なべすればいいのか?となった。若くない身に夜間空港待合いベンチで徹夜とは想定外となった。そして、歳の離れたガールフレンドとの逢い引きは大変であると改めて感じた。

 繁華街のガールズバーのようなところで働いているようで、

 彼女曰わく『のみやさん』であった。上京した折り、男の知っている範囲では全くの下戸であった。

 この国の女性は整形美容をほぼ全員がするとの噂を信じるとすれば、顔を作り変えたのだろうかと疑っていた。他方で別人をよこしたのだろうかとも考えていた。

 女に促されて、空港ビル前の駐車場に向かった。並んで歩いている間中、疑いを反芻していた。

 空港ビルを出て横断歩道をそのまま渡り、左に折れた階段室の裏手にグリーンメタリックのBMWが駐車していた。その派手な車の左側ドアを開けた後、トランクルームを開くと、男が手渡した日本土産の入ったショッピングバッグを仕舞い込んだ。

 彼女と会うだけなら土産など持参しなかったが、ルームメイトと住んでいる部屋に泊まることになっていたので、部屋を開けて実家に帰ると言う友人用に、日本製のコスメティック化粧品とスナック菓子をショッピングバッグに詰め込んで来ていた。  ネットで検索した結果のボリューム感溢れる日本土産になった。好みのカラーなど分からないので、買い求めた店舗のフルカラーを買い求める結果となった。

 トランクルームの奥に仕舞い込むときに中身を確かめていた。

『やすいけしょうひん』と言いながらも、フルカラー揃っているのに目を見張って笑っていたので、ネット検索して想定した彼の国の女性の好む日本土産と彼女の好みが同期していたようで、男の選択は合格のようだった。

 仁川空港からソウル市内の交通渋滞を避け、郊外へ通じる環状線のような高速道路を走っているようだ、何処に連れて行くのかはドライバー任せになっていた。

 空港に掛かった大きな橋を越え交差点で左折する段になり、右座席に座った男の視界に右折して迫り来る大型トラックが目に入ったので、サングラスをしてハンドルを手にする女に大声を出して注意を促すと、ハングルで何やら反応していた。

『ウザイ、見えてるから大丈夫よ!』と言っているのだろうと、男は理解した。

 行き先を気にかける余裕などなかった、郊外に出てからスピードメーターは180kmあたりまで上がっており、旅行障害保険に未加入であり事故が発生した場合の入院費用は自腹になるのかと覚悟を決めるしかなく、シートに深く沈んみ込んでいた。

 狂気のスピードで疾駆する黄緑のBMWは次々に獲物を捉え、車線変更すると、あっと言う間に追い越し続けた。助手席で更に深く沈み込む以外手だてがなく、事故遭遇の場合は助手席だから死亡が確実で、瀕死の重傷で救急車で運ばれるのは運がいいときなんだろうとの境地に至っていた。

 ソウル郊外の環状線から内陸に向かう高速道路に入る間際で、道路脇のドライブインに入った。屋外の丸テーブルで女が調達したコーヒーとよく分からないスナックを義務感で咀嚼した。

 売店のメニューはハングル表示であり、絵によって判断するしかなく、ウォンも持っていないので全て女に任せた。

 食事をしながら、男が女の国に滞在中の予定を打ち合わせた。改めて本人に違いない確証を得たのだが、顔の印象はやはり違っており納得出来なかったが、その場はそのときの流れに任せていた。

『にほんごでわからない』

『てれさ・てんのうたのだいめいいってみてください』

『こいひとみたいなうたのだいめい』

 片側4車線以上ある高速道路の中央車線を疾駆する車のハンドルに両手を預け、前方に視線を向けた体勢で問いかけて来た。

 唐突な単語の羅列に反応出来ないでいると、

『からおけでうたうきょくです』とさらに付け加え男に問いかけてた。

『・・・』黙考すると、彼女が読めない漢字2文字の熟語であり、恋人に蕎麦てんの判事ものが答えであるとなった。

『愛人?』とアンサーすると、

『それです』と笑いながら続けて言った。

『あっちにもこっちにもあいじんいるでいいでしょ』

『あなたときどきこっちくればいい』

 濃いメークの横顔を見ながら、本当に知り合いの彼女なのだろうかと疑った。

 高速道路がいくつかの分岐点を通り過ぎ、山間部に差し掛かると車線数が減少して来た。朝の8時には空港を出たので、3時間ほど経っており少し不安になって来た。

『あとどのくらい行くの?』

『あといちじかんくらいです』

 しばらくすると高速道路を降り、片側1車線の一般道路に出た。さらに対抗車とほぼクロスしない、車1台がやっと通れるくらいの山道にはいった。

 紅葉で色づいた木々の葉がフロントグラス越しに、行く手の風景の中で灯籠影絵のように流れていった。黄と紅の葉に色づいた晩秋の森の中、落ち葉が舞い降りる小径を枯れ葉を巻き上げながら目的地を目指した。

 森から出て、谷川を左下に臨む山の斜面を切り崩したダートをしばらく行くと、谷側に張り出したカーブの曲がり角に車が停止した。

 車を降りて下を見ると、谷川をせき止めて出来たような細長く続く山間の湖が、空の色を映し出しているのか、妙に蒼深を帯びた水を湛えていた。

 女が、切り崩した斜面に造成された、ひと一人がやっと通れるくらいの小径を降りていった。

 小径に後を追うと桟橋を備えたウォータースポーツのベースのような建物が現れた。彼女に追いついた男はそこの運営関係者らしい女性を紹介された。

『ヤムサヤ』とハングルで挨拶しながら、日本人の男がお辞儀をすると、相手の女性もお辞儀を返して来た。

 こう言う場合、女性は大抵『お姉さん』であり、男は『オッパー』として紹介される。

桟橋には、白いプラスチックチェアと金属製の丸テーブルがいくつかあったので、湖が広く見渡せる中央にポジションをとることにした。先程紹介された女性に女が珈琲を頼んでくれたようで、湖面眺めていると飲み物が出て来た。

 湖面に沿う低い目線で、目の前で行われる水上滑走を見ていた。

 モーターボートの唸りが遠く水面を渡り聞こえた、はじめは湖面に不連続な1点が現れ、それが白い一筋の飛沫に代わり、みるみる大きくなった。水の飛沫で出来た壁を両サイドに従者のように従えて、中央に牽引ケーブルをグリップする女が湖上に咲いて目の前を通り過ぎ、そのエントロピーが最大となりデッドポイントを迎えたところで、大きく立ち上がった水の城が一瞬にして崩れ落ち消滅した。

 ウォータースキーは、相当ハードなスポーツであり、バランス感覚と強靭な体幹と腕と下半身の筋力を要する。モーターボートで牽引するワイヤーの先にハンドルを付けた部分と水面に立ち上がるウォータースキー上の前後2点の両足で支える3支点間で、牽引ワイヤーを引くモーターボートの推進力を水面を推進するベクトルと水上に立ち上がる揚力とに分解することになる。そのため湖面から受けるボートの推進力にほぼ等しい抗力に打ち勝つ、強靭な体幹と両手両足の強力な筋力が必要である。そしてその抗力に打ち勝って水面上に立ち上がることで摩擦係数が限りなく小さくなり、水面を滑走することになる。

 見ていると、水面への立ち上がりに2度失敗していた。ワントライ10分で入江の左手奥の方から桟橋の前を横切り、右手奥でターンして、再び左手奥の山影の向こうまで湖面を滑っている。10月初旬であり、山間部の湖水の水温は10℃くらいなのだろうか、ウエットスーツを着込んでも体力的に10分が限界のようだ。

 無線通信機で牽引するボート上の操縦者とやりとりしながらの水上滑走のようで、左の側頭部にアンテナが揺れていた。ワントライごとに暖を取りながらの休憩を入れて湖に入っていた。

 この後どうしたものか男は考えていた。3時間かけて街まで戻るのは如何にも大変である。ホテルの予約は、最初は繁華街のホテルを探したが、女が送り迎えする車の駐車場が必要であり、適当なところがなく、空港近くの郊外に駐車場完備のレジデンスを探しあて、一度予約を入れ女に相談すると、結局は女の主張に合わせるかたちになっていた。入国手続きも宿泊先住所は知らせてきたマンションの住所を起票していた。

 最後の滑りを終えて、ボートの2サイクルエンジンが高回転で湖水を巻き込み吐き出す金管音を立てて、桟橋の手前でターンして沖に向かって舵を切った。

 遠心力を利用して、スケーターが桟橋の手前でボートを起点として弧を描き、その弧の接線上に桟橋の水際が来る時点で牽引ケーブルから手を放し、惰性で湖面を数メートル進んで水面下に沈んでいった。

 スケーターが水面に顔を出したとき、彼女の手には今まで履いていたボードが握られていた。

 水際にたどり着いた女からボードを受け取ると横にかわし、水から上がるための手を差し出すと、水中から縋った彼女の重みが男の腕に掛かった。その重みの意味あいを男の肉体が覚えていた。

 ウエットスーツのヘッドキャップを外しながら、男の目の前で女が立ち止まった。男の目が食い入るように女の横顔を見つめた。彼を空港まで迎えに来た女ではなく、彼がよく知っている女がウエットスーツを着込んでいるではないか、早朝の飛行機で遙々会いに来たガールフレンドがそこにいた。

 湖畔のウォーターベースに夕暮れの風が吹き抜けた。目の前の桟橋の水際を小さな波がなんども打ちつけている。ほんの少し前に湖面で弧を描くように、彼女自身が波立てた衝撃が向こう岸で反射され、桟橋の水際まで押し返されて来ていた。

 女が着替えるため更衣室に入って行く後ろ姿を見送ったあと、男は中央の丸テーブルに戻り白い背もたれ椅子に腰を下ろし、ついさっき見た女の正体を見極めようとした。

 女はさっきから自分をじっと捉える、男の視線を感じていた。湖上での練習を手仕舞いし普段着に着替え終えると、待たせている男のことが気になって来た。了解をとっているとは言え、自らの都合に半日以上つきあわせたことになっていた。

 薄暗い湖上のフロアーの向こうに夕陽が山影を赤く縁取り、暮れかけた湖面は無風となっていた。水際に波の音は消え、2人の居る空間は時を刻むの忘れたように凪いでいた。

 バスタオルで顔についた雫を拭い終えると、大きな瞳を開いて男を見据えながら女が言った。

『化粧落としたから』

 男が目の前の女の仕草を愛おしむようにさらに見つめて、上目遣いにぽつりと言った。

『今の方がいい!』

 暮れ掛かった薄暗い時空の中で、山の端に残った陽に女の影絵がストップモーションでゆっくりと流れ、男と女が見つめ合うかたちになった。

『自然がいいのね』と女が微笑んだ。

 

 

待ち合わせ11

 スマホの電源入れるとアクセスポイントを確認するポップアップダイアログが表示された。ウラジオストク空港でスマホをオンにしたときと同じ内容のようであり、ダイアログ表示が直感的に理解できたので、そのままOKを反射的に返していた。

 夏季の短い4時間ほどの夜のうち3時間を費す空の旅となった。黄緑色の機体が駐機場で鈍い朝の陽に逆光となり空港待合い室から眺めることが出来た。

 リージョナルジェット、エアーバスSSJ100のこじんまりとした勇姿には、子供のおもちゃのように不格好に釣り合いのとれない両翼下の丸みのある大きすぎる車輪が存在感を放っていた。

 わたしは放心した状態で、黒く丸みのある頑丈そうな車輪を眺めるばかりであった。

 しばらくスマホが考え込んでいる。アクセスポイントのリサーチが続いていたままで、待ち受け画面にアンテナが立たない。

ー 駄目かな!ー と諦めかけたとき、 ー you are wellcome to Russia ー が表示されたショートメールが目白押しにぞろぞろと押しかけて来た。

 中国以外の東南アジアのほぼすべての国とロシア圏内でアクセス可能な、5ギガ制限内ならほぼストレスフリーに使用可能なプリペイド方式のシムによる、現地基地局と、アフリカへ向かう光ファイバーの基幹線と太平洋に向かう基幹線及び、日本を目指す東北アジアを経由する3ルートの基幹線海底ケーブル同士の経路分岐するための結節ポイントが地表に顔を出していると言う、シンガポールにあるだろう広域サービスサーバーとのログイン情報のやりとりをした認証結果の案内メールようだった。

 2年前の晩秋、急遽ソウルを訪れたとき、旅先のネット環境維持を目的として、レンタルフォン、モバイルWifiなどの利用方法とコストパフォーマンスを比較して、レンタル系機器の貸し出しに伴う返却の手間と、シムの入れ替え作業を天秤にかけ、なんでもやりたがる性格から、深夜搭乗待ち時間の有効利用に考え至り、最終的に某仏教国製の従量制限フリーシムの採用となった。期間無制限で使い切りタイプであり、間違って現地基地局に従量制接続して、後日莫大な請求を受けることがなく、制限内通信量以外のことは気にしなく安心して使用出来た。

 旅先の画像アップロードなど通信量が多いものは、フリーWifiエリアを使用すれば対応可能だと考えてのことである。ゲーマーではないので、テキストデータのやりとりが大半であり、5ギガバイトもあれば数日間の旅先で、日常のネットワーク環境が維持可能であると想定しての選択であった。

 ウラジオストクで6時間のトランジット後、22時40分発ヤクーツク1時着 SIBERIA AIRLINESに搭乗した。

 漆黒の闇の中へ吸い込まれるように離陸した機体は、大気の影響を受け揺れが酷い、夕食は空港のレストランでサンドイッチとコーヒーのみの腹ごしらえに留めていた。フライトが荒っぽいとの情報を現地の邦人企業でこのルートをよく使用する知人から聞いていたので、予防線を張っていたのが幸いした。  寝ているどころの騒ぎでない、緊張感を伴った北極圏を目指して飛ぶ、S7のロゴ冠した黄緑色の機体に命を委ねた3時間あまりの旅となった。

 いわゆる旅先の現地料理は、ヤクーツク到着後に歓迎パーティーが催される予定なので、それで十分だろうと決め込んでいた。実際に訪れた先で出会ったフードでわたしの口に合うものは今までの経験知として皆無であった。

 食べものに関しては、母国身贔屓のハンディーを外したとしても、日本食が素材感、繊細な舌触りや機知を捉えた食べ物としての美しさなど日本食以外では味わえないと感じており、一番相性がよく旨いとわたし自身の味覚がそのように感じるため、旅先の食事は、ほぼ経験知獲得のための義務感で食事機会を得ているといった心象風景を伴っていた。

 ヤクーツクにはほぼ予定通りの時刻に着いた。

 入国審査でパスポートにeチケットをプリントアウトしたものを挟んで手渡した。30名の現地視察団の一員としての入国審査であり、ひとり旅でない心の緩みが溢れていた。

 3時間のほぼ地球の経度に沿って北上する大圏航路はシベリア上空の大気が不安定なため、一旦航路を外洋に出て日本海から宗谷岬を経て、樺太東側沿岸沿いに北上し、オホーツク海を回り込み、オホーツク沿岸からシベリア上空を横断するコースをとった。海上は比較的安定していたのだが、シベリア横断時は荒れた気象の煽りをくい、ジェットコースター乗車時に体感するような強烈なGを伴う大きな揺れの続く夜空の旅に終始した。ようやくレナ川上空に出て安定飛行に入った。川の上空で旋回しはじめてランディング体制に入ったとき、この空の旅が無事終了するのが真近であることを感謝し、窓から見える滑走路上に並ぶ整然とした誘導灯の列に極北の地になんとか辿り着くことができたと確信した。

 しかしながら、その直後体験したランディングはそれまで以上に凄まじい衝撃を伴うものとなった。