utama888の物語

ショートショート

待ち合わせ23

 レナ川クルーズ船、ミハイロフ・スヴェトロフ号は、ヤクーツクの港を出ると、一旦、川を遡りレンスキエ・ストルブイ自然公園内の石柱群を訪れた後、北極圏に向かって2週間かけて、ほぼ人の手が及んでいないレナ川沿いをクルーズすることになる。船旅の目的地として、頭数が激減した希少種保護の目的で北米大陸から移殖したカナダバイソンの群れが生息するタイガの森、人口3,000人程のトナカイ牧畜が主産業である極北最北端の町、北極圏以北で狩猟で生計を立てている唯一の家族の居住地などの他、レナ川が北極海への河口に広げた巨大な三角州とパイプと呼ばれる水路や、ユーラシア大陸の北東端側が隆起し続けていることを実証している、堆積層が積み上がった巨大な島々、さらに極地点の証しであるノース・ポール及び、陽の沈む極北の幻想的な太古の世界に繋がる海域となっていた。

 川面を渡る風がここちよい、陽は山陰の少し上方であいかわらず眩しい光を四方八方に投げ放ち、その下界を明るく照らしてはいるが熱量はさほど強くない、どちらかと言えば慈愛に満ちた優しさを帯びていた。ひとびとのざわめきが途切れたとき、その世界を現実に呼び戻すように、船の汽笛が離岸の合図として晴れたそらに響き渡った。

 船着き場を離れると、川の流れに逆らって船体を取り舵いぱいに切ったクルーズ船は大きく弧を描いて、川の中央に向かった。屋上甲板では、周りの風景が移り変わりの動きが速く感じられ、船酔いを誘発するため、船体が川の速度と等速になった時点で、船上パーティーの開会準備が始まった。クルーズ船は、川の流れる速さとバランスした後に推進力を少しずつ上げて、川上に向かって進み出した。

 出航後1時間後にはレンスキエ・ストルブイ自然公園内の石柱群に向かってレナ川本流を遡る半日がかりの航海が始まっていた。翌朝には目的地で碇泊して、タイガの森を散策することになる。そこから反転して、川の流れに乗った北極圏を目指す旅が始まることになっていた。

 川の中央で水流とバランスを取ったあたりで、夕食会を兼ねたレセプションパーティーが開始となった。

 同宿の者同士が同じテーブルに着き、出航時の夕食会に参加していた。船上で初めて顔を合わせる乗客と船の乗組員で非番者と船長が参加していた。一等航海士が操舵を担なっており、上方のキャビンから船上デッキで行われている食事会の様子を双眼鏡で覗いているようであった。屋上甲板は操舵キャビンの後方に位置しているので、船先監視は誰がやっているのかはなはだ疑問であるが、大らかなロシア人の船と思えば、巡航速度維持中でもあり、問題にならないのであろう。

 ユリア・ミハイロビナ・ソトニコフは、同部屋の男の横顔に視線を投げかけて、男の心の奥にあるものが何なのだろうかと見据えていた。彼女はこのクルーズツアーに総勢10名の男女のペアで参加していた。彼女はその団体のツアーガイドであり、企画運営会社の代表者でもあった。4組の男女はそれぞれ夫婦であり、それが彼女の保身の為の営業術でもあった。美しさが際立つ魅力的なロシアツアーガイドは、自身が企画運営したこれまでの旅の中で、言い寄る男性の魔手になんども煩わされた。最終的に男達の面倒は彼らの正式な権利者の手に委ねることが一番であるとの考えに至り、夫婦で参加することを条件としたツアーを募集することになった。煩わしい男女の関係から解放された立場で、ツアー参加者の面倒をみることが出来た。参加するカップルの妻を通して、女同士の連帯感からツアー参加者をコントロールすることが出来るので頗る都合が良かった。

 ユリアと同宿の男には、クルーズ中2人の間に決めごとがつくられていた。それは、ヤクーツクの民族レストラン、マフタルの昼食会の場で男が女に愛の詩を吟ずる世界で決められていた。

 男はヤクーツクの現地で彼女自身が直接クルーズツアーの魅力を説明して、キャンセル客の穴埋めの為に急遽募集したメンバーであった。ただし、船会社との行き違いによるダブルブッキングが発生することで、ツアーガイドとクライアントがスイートルームで同宿する事態となっていた。もともと、日本の取引会社の会議の中で、風変わりな日本人として知り合っていた。ロシア語の勉強中であるとのことであり、彼女の母国語を通してプライベートな境界をいつの間にか互いに踏み越しているような、奇妙な関係となっていた。

 プーシキンの詩を口ずさむ男を女はじっと見ていた。男の甘い声は大柄でマッチョなロシアの男には無理だろうと思った。東洋人の独特な甘い音律で発せられる愛のことばは女のこころの襞を優しく撫でた。

 女の口元が綻んだ。この男はわたしをどうしたいのだろうと、そしてわたしはどうするのだろうと思った。男の一途な振る舞いに女は圧倒されていた。

 ユリヤの青い瞳は男を見据え、そして女は提案した。

『ここはシベリア奥地です。舟の上で2人の会話を日本語ですれば、クルーも観光客も2人以外誰も理解できない、』

『日本語で会話出来るのは、あなたとわたしだけです。』

『だから、2人の会話は日本語でしましょう』

『以前、どこかで2人だけの会話が出来たように、』

『秘密の会話を2人でしましょう』

 男と女を比較したとき、物事の決断が必要なとき決心するまでの判断を逡巡するのは圧倒的に女の方であり、現状維持を選択する傾向が強い、但し、その躊躇を何らかの事情で乗り越えたとき、それ以降は女の方が遥かに大胆不敵となる。万国共通の真理であり、人類が持っている種を残す為に遺伝子に組み込まれた、自然淘汰を生き抜く戦略的な雌雄の役割分担であり営みと言える。

 それは、蟷螂の雌は交尾の中に恍惚感に浸る雄を頭から食い尽くす、そして、頭を無くした残った雄の胴体が交尾を続け、子孫を残すための糧となるため食い尽くされるのによく顕れている。

 ホテルのフロントでチェックアウトするとき、係員から港までのタクシーを手配するので、ホールで待つように言われた。ユリヤが男の港までの移動について、ホテル側に意を含めていたことを知ることになった。男は徒歩で向かうことを伝えて、彼女の好意による手配を断ることにした。ホールを出て石造り階段を降り、今から向かう方角を確かめるように通りを見渡した。 

 道路際に植えられている白樺の街路樹がそこはかとなく頼りげがない立ち姿で疎らに続いていた。永久陶土の表層に根付いた故のひ弱な植生を帯びて、夏の陽に緑の葉を精一杯広げ、渡る風に陰を揺らせていた。白樺の根本付近に目を転じれば、下草の中に薄い紫色の可憐なチコリの花がところどころに点描したように咲き、よく見れば白い綿帽子状のレースフラワー、そしてピンク色の白鳥草や焦げ茶のワレモコウなどの高山植物が一斉に慎ましく咲いていた。

 ホテルの前面の三日月湖に沿って、高山帯の植生でいろどられた道を水辺から吹き渡る風に顔を晒して、遠くに視点を移した。きらきらと白樺の葉が夏の陽を反射して、男の瞳に眩しく差した。白樺の街路を小一時間かけて散策し、港が見渡せる降り口にたどり着いた頃には街路樹は白柳に替わっていた。

 途中、ところどころの街路樹の下草に白に黒格子のシベリアの蝶を認めていた。歩みが進むごとに高山帯の花に戯れるように舞う蝶の頭数が増えているような気がしていた。まるで男の道案内でもするように行く先々に現れていた。

 川の流れが遠く眼下に見渡せる港への降り口からは、坂下に広がる船着き場の前広場にひとびとの群れが見渡せた。そこまで続く坂道が背の低いシベリアの大地の夏を彩る緑色の草木で覆われていた。夏の陽は仰角が低いため熱量は肌を刺すほど強くないが、日照時間が長いため大地の表面温度が上がるので、大気の対流を通して気温は上昇し、30度を超えていた。ただし、日陰に入れば湿度が低いため意外に不快感を伴わない。時折吹き抜ける川面から地表を伝う草木の息吹きを含んだ風が頬に心地よかった。

 リュックサックを背負った男が乗船時の待合い場所を目指して、夏草の繁る坂道を歩いていた。

 ユリアとの昼食後、黄色いタクシーで宿泊先に戻って、クルーズツアーの準備をした。タクシーは、行きに使用した同じ運転手であり、船着き場への道中も事前に予約することを考えたが、帰り道船着き場に寄り道し、そこからホテルまで経路を確認しながら帰ることにした。歩いて30分くらいの道中なので、リュックを背負ってハイクして集合場所に向かうことになっていた。

 男が博物館でシベリアの歴史について博識振りを開陳した、カナダ人夫婦が彼が坂を降りてくる姿を目ざとく見つけて、夫人の方が背伸びして大きく手を振った。夫は周りにいるツアー仲間からの問い合わせに対応していた。美貌のガイドがヤクーツクで新規に募集した新しいツアー仲間が、坂を降りてくる男であると指を差し示していた。

 緑色の絨毯の中に韮のコロニーが白い花で雲を描いており、あたかもその雲に乗ってひとりの勇者が下界に降臨する一幅の日本画のようでもあった。見上げるツアー仲間からは、美神が選べし勇者が雲に乗って今にも降りてきそうに見えた。

 ジョン・トルドーは、男がシベリアの造詣に深いことを語り続け、ツアー仲間達は彼の語るシベリア物語をバックグラウンドに、坂を降りてくる男の一挙手一投足を見つめているのだった。

 メアリー・トルドーが、手を振りながら大きな声で男の名を叫んだ。

 男が坂を降りきると、レナ川まで小川が続いており、その水際に無数の蝶の群れが流れに沿って思い思いに止まっていた。エゾシロ蝶が短い夏の陽の光の中に、水の流れに沿って両側に群生した翅が息づいて、川筋の輪郭を描き直し、大蛇が蠢いているようにも見えた。

 近年、シベリアの温暖化により、昆虫の世界に於いても生態系の激変が起こっている。この地方の永久凍土の表層20数センチメートルの土壌層に於いて息づく季節変化の中で、年を通して圧倒的に低温域の季節が占める割合が多いため、短い春から夏、そして夏から秋への時間軸のなかで、ピンポイントの最適化を伴いながら、虫の世界で種の繁殖サイクルを短期化することで、シベリアの夏の水辺を席巻していた。

 ソプラノの音域で男名を呼ぶ声に、水際の蝶の群れに見とれていた男の目が声のする方角に転じようとしたとき、中腰に屈んだ姿勢から大きく上体を引き起こした刹那、一斉に水辺の蝶の群れが舞い上がった。男の周りで白い蝶の翅が乱舞していた。男は蝶の舞う空間の中心にいて周りを見渡し、大きく目を開き自身のぐるりを舞う蝶翅の浮力で心が浮き上がるのを感じ、嬉しくなって両手を蝶の群れの中にかざした。指先に届きそうで届かない蝶を追ってターンしていた。

 ユリアが船会社と最終打ち合わせし終えて、ツアーのメンバーの待機場所に戻って来ると、彼等が河岸段丘に向かって何やら騒いでいた。一番前で大きく手を振っている、メアリー・トルドーに説明を求めた。

ー He is dancing with insects in a flower field ー

 群生した韮の白い花が一斉に咲くお花畑が一片の白い雲のように、下草の緑のカンバス上に描かれた中に、ひとりのバックパッカーが無数のエゾシロ蝶が乱舞する群れと、楽しそうに両手を上方にさし広げて、白い蝶たちと遊び戯れていた。しばらく見ていると、男が遠くから見返しているのがこちらからわかった。メアリーがそれに気付くと、もう一度大きく男の名を呼んで手を振った。メアリーが叫ぶ彼の名前を耳元で聞きながら、ユリアは男が遠くから彼女を見つめている視線を全身の肌で受け止めていた。マフタルのテーブル越しに見せた、あの熱い眼差しで私を見ているのだと確信していた。

ー Как красиво! ー

待ち合わせ22

 外苑前から続く銀杏並木は夜明けの冷たい雨に打たれていた。ひとひらふたひらと小糠雨のキャンバスに一筆書きを描いて、風に舞う黒い影が歩道に舞い降りると男の足元で街灯の明かりの中に照らしだされて、黄色い落ち葉に豹変した。

 女が職場の同僚とヨーロッパ旅行中に上京した。いつものルーチンをこなしていたが物足りなさを感じていた。宿泊先は、最近見つけた上野の崖下のバックパッカー用の安宿にした。出会いの楽しみがあり、海外からの観光客との興味深い会話が期待出来き、博物館も近いので頗る便利であった。

 纏まった一人きりの時間が持てたので、以前から気になっていた、流行り歌に出てくる坂を目指して、不忍池の中央部を突っ切った。池の中央部が神社になっており、参拝するための鳥居をくぐり抜け、横道から神社を迂回すると、池の向こう岸に続く、神のお渡りのような参道が水面を分けて続いていた。行き着いた先で左右どちらに行けばよいのか、目的地のある方向を見失いそうになったが、なんとか広い通りを渡ると見るからに石畳の坂と解る辺りに出た。路なりに石畳を登り始め周りをよく見れば、国立大の付属看護学校が右手に出て来た辺りで記憶が蘇った。

 湯島で女と会って、朝彼女の車で上野まで車を飛ばしたときに通った石畳であることに気づいた。慣れた運転手が時間を気にする女の指示でアップダウンを繰り返し、ここから上野駅の前を通過して、坂を登って寛永寺の脇まで行ったのを覚えていた。あのときは、最終的にどこで別れたのかはっきり思い出せない。早朝の慌ただしい路を何かに急いでいたような気がする。美容院に行くと言う女を送ったのであれば、終着点は美容院の前だったのだろう。  女から昼食を一緒にしないかと誘われたが、昨夜からの充足感に上塗りするような重さを感じて断ったのを覚えていた。

 傾斜のきつい石畳の坂を上がりきり、左手の道を生け垣に沿ってしばらくいくと、目当ての岩崎弥太郎の邸宅が黄色く色付いた大きな銀杏の木の下に、順番待ちのロープが張られたもぎり所とともに現れた。見るからに立派な黄色い大樹をスナップショットに一枚とって引っ返した。三菱記念館でトイレを借りたついでに、館内を見学した。この財閥の基礎を作ったのは、日本に於ける商船運輸業を明治の初期に立ち上げ、後に管制郵便事業を一手に請け負い、さらに西南の役では兵員輸送を請け負った功績なのか、現在の丸の内界隈の土地払い下げを受けたのが、岩崎弥太郎のようだ。さらに驚くことには、払い下げ代金は国からの借入金で賄い、毎月少しずつ長期に渡り返済したようだ。その返済帳簿がガラスケースに収まって展示されていた。

 石段の坂道を降りかけ、不忍池方面に向かおうとしていたとき、モバイルが震えた。馴染みのないハンドル名でメッセージが入っていた。

 先日、バックパッカーの宿で通訳をしてもらったキャリアウーマンからのメッセージであった。知り合いを紹介したいので、次の上京日時を知りたいとの問い合わせであった。

 人物評価をしてもらえないかと言うような内容であり、紹介者の事業の評価をして欲しいとの内容であった。

 事業の評価をするのなら、過去向こう3年のキャッシュフローが説明出来るようなものを用意してもらうのが条件だと伝えてあったが、男が上京しているのを見当をつけての問い合わせのようで、不忍池付近に居る旨伝えると、本日午後からでも会えないだろうかとの連絡が入って来た。先方で昼食を一緒にしないかとの展開となり、女の居ない寂しさの性なのか、そのまま受けることになっていた。

 待ち合わせは浅草駅の構内としたが、上野駅から地下鉄に乗り、浅草で降り立ったはいいが、不慣れな場所で待ち合わせ相手を見つけられなく困っていると、目の前に急に見覚えのある丸い小顔の笑顔が現れた。

『ご苦労さまです。』

『セッティング場所は橋の袂ですので、上に出て直ぐなので、』

『あなたの仕事は大丈夫なの?』

『仕事みたいなものですし、このくらいの裁量はとれますので、』

『市場調査のようなものとも言えるので、』と化粧っけのない20代の若い肌の表面に黄金色の産毛が輝いていた。

 丸の内界隈の外資系商社勤務と言う触れ込みであった。女は哲学を自己流にアレンジした『なんとなく哲子の会』と言う教化団体を主催しており、自らの場を持っている性なのか、歳の割に重心が安定した物腰をしていた。子供時代を所謂飯場で育ち、年長者に囲まれて育ったせいか、男との年齢格差をいともたやすく見事に飛び越えて来た。男手でひとつで育て上げられた性なのか、虫や蛇などは遊び道具として馴染んでおり、歳の離れた異性も子供の頃親しんだ遊び道具の延長上に在るようだった。

 駒形橋の脇に古めいた煉瓦の壁の中を螺旋階段のステップを上がりきると、会場仕立ての天井の高い明るい部屋に出た。テーブルが並んでアイランド状になっており、透明な袋に小分けされた食材が並んでいた。奥に食堂仕立てのキッチンがあり、透明なアクリル板で仕切られていた。アイランドテーブルの食材ごとには説明書きの入ったアイキャッチが敷設されており、店舗独自通貨による交換が可能のようであった。

 店舗自体の運営は、経営者とボランティアによる運営となっており、ボランティアで店舗運営に携わることで、店舗独自通貨が発行される仕組みのようだった。ボランティアによる運営が完全実施されることで、独自通貨が発行されるとともに、店舗内の商品が売れることが約束されると言う、人件費が掛からないため、商品自体も安く供給可能であり、商品自体の製造をボランティアが関わっていることになるので、イニシャルコストと店舗間借り代金が出れば、永久機関のように店舗運営が回り続けることになるので、ある意味で講に似たビジネスモデルであった。

 日々の勤務申請をクラウド化しており、ボランティアが勤務シフトの空き状況を確認して、勤務希望日をエントリーするようにしていた。

 経営者自体がIT技術に明るいので、クラウドを利用して事業を回す効率性をとことん追求しており、有機栽培のオーガニック信者がボランティアの主体となっており、よく設計されたビジネスモデルだと感心した。

 後で知ることになったのだが、この有機野菜分配システムに参加するには、入会金をイニシャルコストとして出資させており、入会後は店舗運営に関わることで、独自通貨が発行され、有機野菜との交換が行われビジネスフローが1サイクル回る仕組みになるようだ。

 男がこれから会う相手の事業の品定めをしている間、平政五郎は透明なパテーションの向こう側から菊川冴子から紹介された投資家であると言う男の品定めをしていた。

クラウドファンディングで資金を集めてはどうですか?』と平政吾郎からの出資依頼へ男が反応をかえした。

『集めた額の20パーセント以上抜かれるのがなんとも、』と平政が苦笑いした。要するに、彼のビジネスをネタにして、調達総額の2割抜かれるのが気に食わないのだった。

『出資金として資金調達出来るんですよ!』と男は言い切った。要するに返す必要のない出資金であり、借金でないことを認識すべきであると混ぜ返した。

『それに数秒間で資金調達出来る!』と続け、

『リスクは大勢で分散した方がよい、』と男は結論づけた。

『直接企業への投資はしないんですか?』と平政が尋ねると、

『インキュベータ経由の方が安全性担保出来るので、』と返答して、男はキャッシュフロー計算書眺めた後、上目使いに平政の顔にフォーカスした。

『いくら調達したいの?』と男が問い掛けた。

『3千万』

『いつまでに、』

『今月末です。』切迫感のある申し出であり、掛け値なしの事実がキャッシュフロー計算書に表されているのかと、初対面の相手に手のうちをさらけ出している度胸に、男は感心した。

『じゃ、探してみますので、あてにせず待っててください。』

『先方から直接連絡を入れて貰いますので、』

 2人のやり取りを菊川冴子は黙って眺めていた。男は、翌日大阪でベンチャー企業の集まりに参加する予定になっていたので、そこで紹介すれば連絡ぐらいは入る目当てがあった。とっかかりを付けて、あとは受け手側の腕しだいと値踏みしていた。自らにリスクを負うのではないことと、紹介者にとっては切り取り次第のリスクテイクなのだから自己責任の世界観として完結していた。

 名刺を渡された男は、いつものように名刺を持っていない旨を伝えた。相手がこのハードルを超えて更に、男への興味を持ち続けないと、男の懐には入れないという、男と外界を隔てるファイアウォールになっていた。

 このベンチャー企業の今後数年のキャッシュフローの推移を見ていた。現在までの資金調達を確認すると、以前起業したデザイン会社をバイアウトした一時所得をいままでの3年でほぼ食い潰す恰好となっており、今後の運転資金の出所が怪しくなって来ていた。月ごとに100万円弱の店舗料が赤字計上されていく財務推移となっており、砂漠に水を注いでいる状態となっていた。

 湯船の中で女の二の腕の湯が小さく丸まって、若い肌に生え揃った産毛状の黄金の毛の上を面白いように流れ走った。男は、自分の肩の辺りにへばり付くように肌に張り付いた、同じ湯の有り様を見て二人の年齢差を嗤った。

 バスローブを羽織って、ベッドサイドのテーブル席に腰を降ろした。バスタブ内で歳甲斐もなく子供に返って湯を掛け合って、2人でじゃれあったことが新鮮であった。この後どうしたものか躊躇して、冷蔵庫のビールを飲み始めた。いつもなら、赤のワインを飲んで女の湯上がりを待つ時間帯であり、その後は女に任せていればよかった。

 浅草で菊川冴子と別れて、夕方信濃町で待ち合わせすることになった。本日のお礼をしたいとのことで、彼女の退社時間に合わせて、絵画館前の銀杏並木を散策する約束をして別れた。平政吾郎の有機野菜普及パーティーに彼女も参加しており、特にIT技術者としての平政の技量に尊敬に近い人物評価を持っていた。彼女が男の人となりを平政に話したところ、是非とも会って話がしたいと言うことになったようだ。運転資金が底をつきかけており、新しい資金提供者を探していたと言うところだったのだろう。ただ、どう見ても事業の再構築を行わないことにはじり貧の末路が確実であった。

 夕暮れ時に絵画館前の銀杏並木に面したイタリア料理店で待ち合わせ、軽い食事とワインで夕食会となった。食事の間中上気した冴子はよく喋った。彼女の生い立ちなどを開陳して来る態度の中に、男に対する好意が含まれていることが肌身に感じられ、軽い驚きを感じていた。食事後に青山通りまでそぞろ歩き、地下鉄の駅で別れる積もりでいた。飲み足りないような冴子の素振りで、腰を据えて落ち着いたところで飲もうと言うことになった。普段泊まらない少しグレードの高いホテルで宿泊する事になった。日本を代表する銀行の系列ホテルであり、高級感漂うレストランが併設されており、窓際の席から外苑の森が都会の夜の中で身を縮めたようにうずくまっている様子が遠くまで見渡せた。

 都会の夜と冴子の華やいだ若さを眺めて、ソルテイドッグの杯を重ねた。部屋は万一を考えてダブルでとってあったが、気が付けば冴子とバスルームでじゃれあっていた。

 朝目覚めると、ベッドの隣は空となっており、ビールを呑んでいるうちに不覚にも寝入ってしまったようだった。

 ベッドサイドの小物置きに置いたスマホを手に取ると、冴子からメッセージが残されていた。

ーおはよございます。昨晩は大変楽しゅうございました。ー

ーまた、さそってください!お誘いを心よりお待ちしております。ー

 ひとりの男が寝入る横でバスローブ姿の冴子とのスナップショットが添付されていた。

 男がホテルのフロントで追加分の清算しようとすると、

『お連れの方に精算いただいております。』との返事が返って来た。暗然とした気持ちになったが、気を取り直して早朝の街に踏み出していた。明け方に通り雨が降ったようで、暗闇の中に蠢く黒い影があちらこちらから男の注視を誘った。

 外苑前から続く銀杏並木は夜明けの冷たい雨に打たれていた。ひとひらふたひらと小糠雨のキャンバスに一筆書きを描いて、風に舞う黒い影が歩道に舞い降りると男の足元で街灯の明かりの中に照らしだされ、彼の心に巣くう物の怪に豹変しようとしていた。  

     

待ち合わせ21

 ヤクーツク市はレナ川西岸のかつての大河の氾濫原に位置している。意外であるが、レナ川以東カムチャッカ半島までのユーラシア大陸は北米プレートの一部である。川の西側はクラトンを形成し、エニセイ川が西側の境界域辺りになり、南限はバイカル湖付近となる。ほぼ、シベリア中央部の民族歴史の中で、騎兵軍団国家が勃興した領域以北のユーラシア大陸中央部全域を占める地域がシベリアクラトンと言うことになる。

 クラトンとはプレートテクトニクス以前から存在した大陸ブロックのようなもので、悠久の時間軸の中でマントル対流によって離合集散することで、2億5千万年以前の原生代に現在ある全ての大陸が一つに集まった、パンゲアなどの超大陸を作ってきたと考えられるている。クラトンとは、カンブリア期の造山活動以前から存在した超保守的な安定した大地と言うことになる。因みに、年代測定の科学的な発達する以前は、地質層をカンブリア期以前は先カンブリア期とひとまとめに大別していた。地質層を種別する根源は生物の痕跡としての化石が含まれる地層を遡ることであり、それが出来るのがカンブリア期までであり、それ以前は層別の手立てを見つけることができない。生物化石とは古代の地球の海に大繁殖した三葉虫などのことと言うことになる。

 壮大な地球の営みは、シベリア山岳民族エバンキの神話の世界でマンモスがその牙で地底の土塊を地上にぶん投げ、ジャブダルがその巨体をうねらせ、地平に順化するように均した世界観とよく似合っている。土塊をクラトンに読み替えれば、天地創造プレートテクトニクスそのものとなる。

 ベーリング海峡を挟んで北米大陸ユーラシア大陸は嘗て地続きであったが、太平洋プレートが北米大陸の下に潜り込んだ影響で、ベーリング海峡直下も沈み込みが発生することとなり、現代は間氷期の温暖化による海面上昇となり、地続き部分が海没して海峡が形成されることになった。

 大陸プレートの沈み込みラインで日本列島沖合いから樺太沿岸部を経由してベーリング海まで北上する裂け目が日本海溝となる。推理作家による日本沈没のネタの起源は、この日本海溝の最深部の異変の発見から始まるが、最新科学の見るところでは日本海側のユーラシアプレートが日本列島の真下への沈み込みと群発地震の発生が話題となって来ている。現在のプレートの沈み込み具合は比較的初期段階であるが、今後沈み込みの傾斜がさらに進み、数百万年後には完全に海溝になるようだ。

 ユーラシア大陸の大河の流れを俯瞰すると、異質のクラトンの境界域に地上の裂け目が出来やすく、結果としてその領域に沿って大河が発達している。限定された領域に出現した大河の流れは、自ずから互いに本流及び支流で近接するポイントが発生することになる。そしてその近接ポイントで水運が運河や舟の陸路運送などにより連結すると、シベリアを舟で縦横断可能となる。ヨロッパで毛皮を採り尽くした、ロシアの毛皮貿易商人は私兵によるシベリアの収奪を、発達した水運を利用することで短期間に成し遂げた。先兵となったのは私兵のコサック兵であり、その後ロシア王朝はシベリアのイスラム国家シビルハン国を滅ぼし、清の弱体時期に正規軍をシベリアに送り込み、外モンゴルを手に入れ、沿海州まで南下する事になる。 

 ユーラシア大陸で勃興した騎馬民族の軍団移動は馬によるところが大きいが、その兵站を支えたのが大陸を縦横断可能にした河川による水運なのだろうと考えれば納得がいく。

 どちらかと言えばレナ川の東岸側が持ち上がり、ヤクーツク市側が沈むベクトルが働いている地域であり悠久の時間軸の世界では、沈む側の三日月湖が付近に多数存在する風景の中に、30万人口の都市が存在していることになる。市中にも大小の三日月湖が散在していることになり、市域の樹木は育つ条件を満たしているが、永久凍土上の表土層は痩せた土地なので樹木は大きく育たない。この土地で人が生活圏を広げる場合のルールとして、息づいている植生を保護するため、建物は樹木の生育圏を外して建てられている。ひとと樹木が共生した自然界にやさしい町の営みと言える。厳しい自然環境を生き抜くためのヤクートの知恵が、樹木を大切にする文化を形成して来たと考えられる。

 レナ川の氾濫原とヤクーツク市の境界線にある三日月湖に沿って走る、ウーリツァ・チェルンイシェフスコヴォ通りを黄色いタクシーで急いだ。ホテルに戻るとユリヤから伝言が届いていた。元々、ホテルで待ち合わせをしていたので、カナダ人夫婦の昼食の誘いを断っていた。午後一番に、ユリヤとクルーズツアーの最終確認をすることになっていた。

 宿泊先ホテルのフロントで渡されたメモで、マフタルで昼食に招待したいので、現地まで来て欲しいと綺麗な日本語の手紙となっていた。但し、全てが大らかなひらがな文で書いてあり、シベリアの地で万葉の恋文を読む平安のおのこの気分になっていた。朝食後すぐに出掛けた男と入れ違いに来た女はホテルでしばらく待っていたようだが、メモを残して引き返していた。

 マフタルはヤクーツク市中心部からレナ川河畔寄りにあり、この都市で有名なヤクート料理が味わえる民族レストランである。

 待ち合わせの時間を少し過ぎて目的の店の前でタクシーを降り、300ルーブル支払った。市内道路は舗装されてはいるが、永久凍土の上に生活圏を立てているため、土台自体の凍った地面が溶ければ歪みが発生するためか、日本で施されているような道路中央を高くして、雨水の水はけのための傾斜をつけたりしていない。雨が降れば、辺り中に水溜まりができ自然蒸発に任せるようで、道路端の水はけ用の側溝などもない、でこぼこ感満載の埃っぽい街である。陽は山並みの上辺りを周回中であり、21時過ぎないと日没とならないので、陽を遮る天候にならない限り、大地の熱量循環が日中20時間余りプラスとなるため、気温は30度を超えることもあるが、天候次第で零下にもなってしまう。

 階段を登って店のバンガロー仕立てのドアをあけると、アンティーク感溢れる室内が広がっていた。板張りの床は磨きがかかり、木造りのテーブルと手作り感の溢れた木の椅が4脚ずつ部屋の4隅に配置され、奥の部屋は大部屋仕立てに成っているようだった。天井は丸太の桟で仕切られた柾目板張りとなっており、大柄のロシア人には高さが気になる圧迫感があるが、極寒の地の真冬の厳しい環境に対応する上ではいたしかないのであろう。ホールは全体がそれぞれの小部屋に分かれており、家具自体の彩りが明るい色調であり重厚感には欠けるが、冬の闇が長いので単調になりがちな身の回りに彩りを添える効果を出しているのだろう。

 ユリヤは、店の入り口が見渡せる壁際のテーブルに陣取って、現在の最大の問題について、どのように男に話したものか考え倦んでいた。ただし、相手に納得して貰うしかないことであり、それ以外どうにもならないことであることは確かであった。

 女は入り口のドアーが開く気配を感じ、椅子から立ち上がり一歩を踏み出した。

 ピンク系ベージュ単色のドレープワンピースを纏った女の左腰辺りにある絞りが、彼女のシルエットを緩やかになぞって、その布地で包み込む女の起伏をより魅力的に表現し、雄を惹きつけ、見るものの心に圧倒的な誘引効果を発揮していた。クルーズ船の出発時に際して催されるパーティー用に着込んだ、ドレッシーなユリヤの姿に男の目は釘付けとなった。豊かな胸の膨らみと白い肌がドレープの隙間から覗いている。彼女の唯一の美的欠点である、大き過ぎる腸骨の出っ張りはベージュの緩やかな布が目立たなく補正しているので、逆に雄を受け止め更に圧倒する魔力を放っていた。ツアーの引率者として振る舞う活動的なジーンズ姿も彼女の魅力を十分に引き出しているが、目の前の神々しい姿はジャブダルの化身となって、ベージュの襞に魔力を帯び、世の中の全ての男を跪かせ、かしづかせるフェロモンを放っていた。

 ユリヤが持ち込んだ重大問題は、男にとっては非常に好都合な、望んでもなかなか与えられない、日本狼にとっては恰好の餌場の提供となった。クルーズ船会社がモスクワでのキャセル情報をもとに、カナダ人夫婦のツアー参加を決めており、ダブルブッキングが発生してしまい、ユリヤが当地で募集したツアー参加者の行き場がなくなってしまった。

 男の帰国便は深夜の夜明け以前にウラジオストクに向けて飛び立っており、ビザ自体の変更も手配済みとなっていた。ツアー会社で抑えている船室は6室で、ツアー参加者が5室とガイド用の1室、キャンセルが発生したのはスイートルームで、ユリヤが元々ガイド用にリザーブした部屋は新しく船会社が募集したカナダ人夫婦の部屋となり、ユリヤがキャンセルが発生したスイートルームを使用することになっていた。キャンセルが発生した時点で、ガイド用の部屋がグレードアップしたため、客とガイドの部屋の割当に主客転倒が発生していた。

 ユリヤの説明を纏めると、12日間同室で寝起きすることになるが我慢して頂けないかと言うことであり、追加料金は請求しないと言うものであった。

 ベッドも一緒になるのかと疑問が湧いたが、敵地深く橋頭堡を築くまとないチャンスが転がり込んで来たと男は考えた。そして呪文を掛けた。

 ー Это совсем не проблема ー

ユリヤは青い瞳で男の顔をまじまじと見据えていた。

 ー Я хочу съесть стейк с детьми ー

 ユリヤの奢りで昼食のテーブルを囲んだ。何を食べたいかと問われ、子馬のステーキをリクエストした。彼女は日本語で話そうとし、男は呪文をかけ続けた。

 

 Я вас любил : любовь ещё, быть может ,

 В душе моем угасла не совсем;

 Но пусты она вас больше не тревожит;

 Я не хочу печалйть вас ничем.

 Я вас любил беэмолавно,беэнадежнао,

 То робстью,то ревностью томйм;

 Я вас любил так искренно,так нежно,

 Как дай вам бог любимой.

 

 男はひとつ覚えの、若い妻のために行った決闘に命を落としたロシアの詩人の詩を吟じ続けた。

 

待ち合わせ20

 法隆寺宝物館は、正面の大きな透明なガラス面を両サイドからライムストーンの壁が支え、その前面に御影石で造作された浅い池が配置されている。建物と一体をなして造られた池の水面に、全面の透明な窓も含め両サイドの壁の姿が、博物館の正面玄関からの左手の小径を大きな楓などの広葉樹の下をくぐり抜けたとき、視界の中に水面浮かぶその写し絵に、視る者のこころを、シンメトリックに調和した安らぎを与え、正面入り口までの水面を渡る石畳の通路へと誘う均衡感を与える。

 いつもの通り、薄暗い展示室内で27体の阿弥陀仏に願掛けをしていた男のモバイルが震えた。

 男は展示室を後に、展示室と外界を仕切るガラス戸をくぐり抜けた。すると、透明な大広開の窓越しに水面の向こうの小径の辺りを観ると、女が立っていた。

 広葉樹の緑の葉陰に佇んで、此方を眺めている立ち姿が、黒田家御門の黒い色調を背景にして、薄手のピンク色をした花柄のワンピースに、鐔の大きな柔らかい曲線を描くベージュの帽子を真深く被った女が、蜻蛉目のサングラスを通して水面の向こう側を注視していた。大きなガラス越しのホールの中から女を見詰める目当ての男を探し当てていた。

 上京時、当日夕方からの丸の内での会議と、友人の会社への顔出し以外で、趣味的な博物館巡りと、上野浅草界隈の散策と洒落るが、豪商や財閥の庭園があったり、流行り歌に出てくる石畳の坂があったりと飽きが来ない。上野博物館は一定期間ごとに展示物が変わるので、また、半日では全てを回り切れない為、次に来るまでに展示終了となってしまう展示物について、要するに特定の任意展示物について博物館内巡りをいつの頃からかするようになっていた。そのとき役に立つのが、2ヶ月ごとに発行される館内案内冊子である。

 園内唯一飲食可能な平成館の休憩所で、コンビニで購入したおにぎりとお茶で遅い朝食を採りながら、当日の館内巡りの品定めをする。

 ある時案内冊子をめくっていると、アンケート形式の特別展招待を募集しているのに気付き、応募することになった。

 博物館の案内冊子最終ページにあった応募先にハガキで応募すると、すっかり忘れていた頃にペアの招待券が送られて来た。

『展示会の招待券あるけど、行く?』と女に問いかけると、

『はい、』上目遣いになって答えた。

 いつものホテルで待ち合わせ、いつものように赤ワインを1本呑み干し、銀座コージーのショートケーキ分け合って食べ、ルーティーンをこなした。

 夜中に目が覚めて、男の右側でバスローブの袖を両手で握りしめる女の寝姿をじっと見つめる男がいた。このまま行くと情が移りそうな危うさを男は感じはじめていた。女は白い寝まくらを背に男の右体側に挟まれるように、長い睫を伏せて眠りについていた。

 翌朝、博物館に行くかと男が念を押すと、女は頷いた。少し肌寒い寛永寺の墓地周りを2連れで歩いて、銀杏の黄色い落ち葉で敷き詰められた博物館を訪れた。

 ラインのやりとりでお互いの場所の確認をした。

 ーどこに行けばいいですか?ー

 ー正門入って左手の道ー

 ー法隆寺宝物館にいるー

 以前、一緒に来たことがあるので、博物館で待ち合わせすることになった。

 陽の高い時間に、女を白日のもとに晒して観るのは感慨深かった。前日夜の宿泊先を最近見つけた、バックパッカー用の簡易宿舎で泊まった。上野のお山の下あたりにあり、崖淵の階段を登れば寛永寺となり、博物館は緑が萌える公孫樹並木の葉陰の向こうに見えた。

 バックパッカー用のベッドルームは階段を上って3階となった。途中の階は女性専用らしく、入室時のドアロックキー解除が必要のようだった。部屋のドアーを開けると、80Kgはあるだろう立派な体格の浅黒い肌をした女性が、通路でトランクを床に開き荷繕いをしていた。少し行き交うのに邪魔になりそうで、互いに目があった。どこから来たのかと問うと、インドネシアから来た看護婦さんであり、日本観光3日目とのことであった。男のベッドは奥にある一室の入り口付近の上段であった。ベッド番号を確認して梯子を登ろうとすると、手を掴んで支える場所が見当たらない、しようがないので、先に放り込んだリュックをさらに奥に押し込み、体を梯子からかわすスペースを確保して、狭い寝床に乗り込んだ。小さな折り畳み式の棚があるが、どうやって起こすのかよく分からない。

 頭上のプライベートボックスの鍵の使い方がよく理解できないで、弄っているうちにロックしてしまい、フロントまで降りて解除してもらう羽目となった。

 部屋の入り口にユニット式シャワーが2台あり、透明なハッチを閉めて使用する方式で、珍し感満載の蛸部屋形式であり、ドミトリー方式と言うらしい。寝るだけなら充分であり、外人さんと気楽に会話できるのもいい。

 シャワーを使ってから、1階のフロント前のフリールームでタブレットを弄っていると、コンビニで仕入れた食材で夕食を作っている外人さんがいた。よく見れば、ピザトーストをトースターで焼く準備中いったところであった。

 玉ねぎをスライスしフランスパンの1片に敷き詰め、チーズを乗せてケチャップ塗り、なんとその上に生卵を落とし、曲芸師さながらトースターで焼き上げた。出来映えに満足したのか、口にする前に3D視線で確認したあと、旨そうに上手に食べていくのを観ていた。    無精ひげの男は、指先についたケチャップを舐めると、コーヒーカップに作ったコンソメスープを飲み干した。彼はスリムな20代の英国人であり、日本に来て3ヵ月の旅行者であった。語彙不足の男の英語はあまり通じず、同席していた安宿愛好者と思われる都心に勤めていると言う、流暢な英会話を操る20代の邦人女性と話し込んでいた。

 キャリアウーマン経由で、無精ひげの英国人の通訳をしてもらっているうちに、彼女とライン交換していた。

 朝、近くのコンビニでお茶とおにぎりを買って来て食べていると、20代の外国人男女のカップルがマップを広げて相談していた。どこに行くのかと問いかけると、日光に出かけ、その後鈴鹿サーキットに行くのだとのことであった。サーキットを走るのかと聞くと、男の方がメカニックだと答えた。サンフランシスコからの訪日観光客に以前住んだことのある地方の物知りとなって、少しお節介をしていた。

 日光湯葉の有名な店が東照宮へ掛かる赤い橋の袂辺りにあるので、是非寄ると日本観光の思い出になると勧めた。湯葉を英語で説明するのに少し困った。

 池の水面を蓮の葉が濃い緑で敷き詰め、所々茎の赤紫がアクセントになり、岸の遊歩道の際まで押し寄せている。陽は天頂から無風の水面を照らし、桟橋に藻やったボートは乗り手がなく、所在なげに浮かんでいた。

 博物館を出て、池の端まで公園を突っ切り、女の買い物につき合うことになった。途中、公園内の道端で大道芸人が竹笛を弾いていた。

 フォルクローレの調べが辺りに響き渡った。ケーニャが旋律をとり、竹筒の上端を一線に揃え、末端を放物線様に描いたポーニャが和音で合わせ、皮太鼓のボンボが低く乾いた音でリズムを叩いた。ストーリートミュジックの定番、コンドルは飛んでゆくが流れ出した。遠巻きに数人の通行人が足を止め聞きいっていた。しばらく、立ち止まって聞いていると。

 池の手前で女がこちら観ていた。

 女が,『払ってくれる?』と悪戯で試して来た。どうみても商売用の衣装なので、

『商売道具は自分で払え!』と反射的に 混ぜ返すと、女が黙って見据えていた。

 春日通りに出て湯島方面に向かって歩いた。ブティックにでも寄るのかとついて行くと意外な店に入った。さらについていくと、想定外の売場となった。

 久々に味わうタイトロープの一次元の世界を歩いていた。但し、踏み外せば、奈落の底の3次元となっていたのだろう。なんとか渡りきったようだった。

 昼食でも一緒にするつもりで呼び出したのだが、昼から用事で出掛けると言うので、昼前にお花の稽古に行くと言う女を上野駅まで送って別れた。夕方まで、時間を持て余すことになり、博物館の裏通りを下町巡りすることになった。

 博物館の裏手は、山手線の山側が広大な寛永寺の墓地になっており、鬼平犯科帳に出てくる谷中の墓地は、そこから日暮里駅までの途上に出て来るようだ。    寛永寺の根本中堂で写真を撮り、桜木町の交差点にある下町民族資料館に寄った。交差点の向こう側に喫茶店があり、店の前にベンチがあった。客らしい2人の中年女性が座って開店を待っているのに目が止まった。開店待ちの観光客を見つけて、名店なのかと店内を覗いてみると、マスターらしき男と窓越しに目が合った。店のメニューが大きく掲示してあり、甘党目当ての店のようだった。

 桜木町界隈は、嘗て豪商などが妾宅を構える土地柄とか、何かの文章で知っていた。いまでも名残があるかと意味もなく、家の表札を観て回って家相判断していたようだ。ベンツが複数台駐車場にあったりして、お金持ちが住んでるのかと土地柄観を納得した。地元で行き交う女性は皆さん愛人かなと詮索したくなり、不思議感に惑う。

 夕方、東京を離れるとき、今から帰ると女にラインで連絡すると、

ー 気を付けて帰って下さい ー

といつもと変わらない反応があった。

 女に会って肌を交えず別れた男のこころに、小さな棘の痛みが残った上京となった。

 

待ち合わせ19

 クルーズツアーの出航が日没前の19時なので、ほぼ日中の丸一日ヤクーツクでの時間待ちとなった。男は、クルーズまでは単独で行動することにしていた。念のための調整時間のようなものであったが、取り立てて特別にすることもなく時間を持て余し気味となった。宿泊先からすぐ近くに博物館があったので、ヤクーツクの公園を散歩がてら覗いてみることにした。

 昨日、ユリヤが引率してツアー客に見学させた、ヤロスラフスキー北方民俗歴史・文化博物館は、湖に沿った本通りから枝道に入り、この地方の教育大学に向かう途上に、黄金のトップシンボルを冠したロシア正教会を敷地内に配した、赤煉瓦の外壁で造られた小さな劇場のような外観の建物であった。冬季の暖房用の燃料パイプが敷地内に張り巡らされているので、道路とクロスするポイントでは大きく上方にフラットなアーチ状に跨ぐことで、積雪で生活面が上昇した場合の車高への対応している。ただし、そのアーチ状の燃料パイプには、美術館に纏わる紹介と共産国家のプロパガンダが施され、立派な門の体をなしていた。

 門をくぐると、美術館本体建物の前面にロータリーが作られ、その中央にはこの地方民族がこの地を訪れた来訪者に対する歓迎の意を表すモニュメントが設置されていた。

 男が、シベリアウルフの剥製の前で写真をとっていると、恰幅のいい海外旅行者の夫婦と目があった。挨拶すると、彼らは、男の身の上についていろいろと問い合わせて来た。2人はカナダ人夫婦であり、ユリヤのツアー客のようであった。男とロシアガイドの関係を知りたいような探りを入れているように、彼は肌身に感じ、極北に地で出会ったカトリック教徒夫妻に上目遣いに焦点を合わせていた。

 夫婦は、現在の彼らの国の首相と同じファミリーネイムのトルドーであり、ジョン・トルドーとメアリー・トルドーと名乗った。

 夫婦ともに60代の太り気味の仲の良さそうなカップルであり、メアリーが男の拙い和製英語の翻訳及び意訳をしてくれているようで、ジョンとは挨拶以外は直接会話はしなかった。2人は6ヶ月の長期旅行中であり、ロンドンからユリヤのツアー客となっていた。昨日の市内観光ツアーには、夕食場所で合流したようで、博物館めぐりが今日になっていた。

 男は、午前中かけてトルドー夫妻といっしょに館内を見て回る羽目になった。いっしょに廻ると言うより、極北の民ヤクートの民族と文化について、彼の知るところを披瀝することで、シベリアの成り立ちについての私見を開陳する見学ツアーとなっていた。

 公園の雑木林の小径を3人連れの観光客が散策していた。3人の頭上には蚊の群れが蚊遣りを形成し、歩く歩調に合わせて頭上の影も中空を移動した。

 こう言う場合にロシアの虫の被害に合うのは、どう言うわけなのか日本人である。蒙古班を共有する民族的な繋がりなのか、頭上に旋回する虫の群れは、彼らにとって一番価値のある血の在りかを求めて、彼らは種の生存のため、吸血する獲物選びをするために3人の頭上を飛び回るのであった。

 ロシア人の場合は、幼少期からダーチャで過ごす生活の中でしこたま血を吸われるため、虫の出す唾液に対する免疫耐性を獲得しており、虫に刺されてもほとんど気にしないようだ。

 ダーチャとは、都市生活者に対して、郊外に国からあてがわれた土地に別荘を建てて、週末などに土いじりをして過ごすところであり、故に自給自足の生活の避難施設を国民それぞれが持っていることになり、しぶとい国民性の基になっている。

 白い肌がところどころ赤みを帯びた、2人のカナダ人の言うところによると、ユリヤは優秀なツアーガイドであり、ツアー参加者全員に対して、ことのほか懇切丁寧な旅に対する応対をするが、私生活はベールに包まれており、本人自身余り語ろうとしないとのことであった。知的で健康的なロシア美人は彼等の息子世代の嫁にしたいくらいの評価であり、絶賛していた。

 カナダ人夫婦は、雑木林の茸の繁殖層に目を見張っていた。永久凍土の短い夏に精一杯息づく、菌類の繁茂の様を驚嘆の目で指摘し合っていた。

 3名の異邦人は、ランチをいっしょにすることになった。美術館の案内役をかってでた形になった、男に対する感謝の意として、ランチパーテイに招待したいと言うことであった。夕方から同じツアー参加者になることもあり、好意を受けることになった。

 ヤクーツク市内にある日本料理店に誘われたが、ツアーの船上ランチを同席することを約して別れた。シベリアまで来て、日本料理もないだろうと思った。ただし、シベリアの日本料理店は、味はさて置いて値段は高級レストラン級であり、人気店になっていると知り合いから聞いていた。

 ホテルに戻ると、ユリヤが男を待っていた。旅券の確認と今後の旅行日程との整合性を確認するために、彼がパスポートを預けていたので、その返却と日程確認をするためであった。但し、新たに持ち上がった、重大な問題の相談を携えて来ていた。

待ち合わせ18

 ホテルの部屋でビールを飲んでいた。女が来るのは17時過ぎの約束なので、15時に駅に着き時間を持て余した。だいたいの見当をつけて、駅前の裏道をこの町の中央に流れる運河を目指して歩いた。ひとの流れは無く通りの店もシャッターを締めて閉店のところが目立った。その日の宿を探すのにも苦労した。世の中全般に自粛モードが引かれており、デートで使う夕食のレストランを探すのにも苦労しそうであった。

 女から電話連絡が入ったのは想定外であった。部屋番号はラインで教えていたので、部屋に行けないと言う理由がよく分からなかった。とにかくフロントまで降りて来て欲しいと言うので、しかたなく降りて行くと、ロングドレスに着飾った女がエレベーターホールの植栽の陰に心細げに立ちすくんでいた。どうみても、このホテルから10分程歩いた辺りに繁華街あるので、その辺りのホステスさんが出張営業して来たように見える。ホテルのフロントでエレベーターを使おうとした女は、ホテルマンの制止を受けたようだった。

 出張営業禁止と言うとこなのだろう。普段着でも目立つロシア美人がキャバクラドレスを着込んで、タクシーでシテイーホテルに乗り着けた格好になっていた。

 外はまだ明るく、ビジネス街の勤め帰りの男数人が話をしながら、駅方面に向かって歩いていた。並んで歩くのを躊躇していると、真っ赤な単色のロングドレスを着込んだ女は、男の右側から腕を組んで来た。払いのける分けにもいかないので、意を決めて女のなすがままに、ひとの流れの中に入った。

『どうしたのその格好?』

『昔、アルバイトをしてたとき着てたドレスです。』

『わたしがきれいな方がいいでしょ?』

と念を押して来た。横断歩道を渡り路地に入り、夕食をする店を物色しながら、夕暮れの街をそぞろ歩いた。水商売のホステスが同伴客と連れ立って歩くには時間帯が早すぎるし、繁華街からも離れ過ぎていた。人通りも少ないので、人目を気にする必要もなく、シャッターの閉まった通りを不釣り合いな男女ペアが食事場所を求めて彷徨った。

 2人ともにこの町の異邦人なので、少し大胆になっているのだろうとそのときはそう思っていた。

 彼女の流暢な日本語を聞いていると、外見とのギャップで妙な気分になるのだが、男が短い日常会話くらいしか、女の母国語を使えないのもあり、また、相手は仕事場の延長上ともいえなくない分けであり、彼自身がマーケットサーベイの対象者になっていると考えれば問題ないことになる。

 日本人が乱れた母国語を使っているので、女が操る流暢な大和ことばのイントネーションに聞きほれて、異次元の世界にいるような気分になってしまう。

 しばらく、運河の石畳を散歩することにした。人気がなさそうなので、派手な真っ赤なロングドレス連れにはちょうど良かった。交差点の際に遊歩道に降りる石の階段があった。運河沿いの遊歩道は、通り側に開いた店舗の階下フロアーとして、営業している店の遊歩道からの入口辺りに小さな立て看板が運河に沿って並んでいた。

 先に遊歩道まで降りて辺りを確認したあと、石段を見上げると、ロングドレスにハイヒールに正装した女が石段の足元を気にして、自らの足を踏み出せずいた。躊躇しているの女のところまで引き返し、ウエストに右手を添え肩に左手を預けさせた。普段はスニーカーなので、男を先導するように道案内でもするように振る舞うのだが、勝手が違うようだ。

 2人で遊歩道に立つと、丁度遊歩道の石畳に敷設されているフットライトが一斉にオレンジの灯りを灯した。誰かが恋人達のために灯したように、暖かいオレンジ色の灯が2人の足元を仄かに照らした。

 女と男が目を合わせて笑った。ロマンチックな遊歩道のフットライトは、辺りの照度に反応する自律スイッチで作動しているのだろう。辺り一帯の商店街は自制休業中なのだが、天使のスイッチを消し忘れたようだった。

 明かりが灯っている店は少なかった。開店している店は、ドリンクバーやコーヒーショップであり、夕食をするためのレストランはほぼすべて休業状態であるようだ。男は当てが外れ、夕闇の中オレンジの雲に乗ったように、石畳の先を往く女の後ろ姿をレンブラントが描いたような陰影の中に女を配して眺めていた。

『ここ綺麗ね!』と足元から帯びたオレンジのグラデーションの光の中に黒い影となったドレスを身にまとった女が振り向いて言った。

『知り合いのお店あります、』

『近くなの?』

『車で10分くらいです。』

『じゃ、そうしよう!』となった。ボルシチウオッカもいいかと男は思った。

 その店は、ホテル街の裏道へ入る入り口付近にあった。ロシア料理店かと推量したのは早計であった。ずいぶん構えの立派な、全体にくすみがかった歴史を感じさせる、中国料理店であった。

 本通りに出て、行き交うタクシーを止め女を先に乗り込ませようとしたが、イブニングドレスとヒールを纏った彼女が、体を後部座席の奥にスライドするのは無理があるので、男が奥に座り彼女を受け止める形になった。柔らかい生身の暖かさが薄い布地越しにここちよい、女も身体を遠慮なく預けながら、運転手に道案内をしていた。

『おばあちゃんが中国人です、』

『ハルピンに住んでます、』

『アルバイトで貯めたお金でハルピンにマンション買いました、』

 目当ての店に着くと、顔見知りのように店員を交渉相手に、早口の中国語で矢継ぎ早に料理を注文している女を唖然として男は見ていた。しばらくすると、2人の卓にはどう考えても食べきれないほどの料理が並んでいった。

  Эа встречу ! 

 特別仕立ての豚バラの焼き肉は脂の質がよいらしく、肉自体に甘みがあり仄かな柑橘系の香りがあり大層旨かった。グラスの暖かい紹興酒に黒砂糖を入れて女の母国語で乾杯をして、杯を重ね時は流れた。

 バスローブを纏って、ベッドで寝ている状態で気がついた。傍らに同じものを着た女が微かに寝息を立ている。男の左腕の袖を控えめに両手で上と下から掴んだ状態で寄り添うような寝姿となっていた。

 男は、ずいぶん酒を飲んだようで、どうやって宿泊先のホテルに戻ったのかを余り覚えていなかった。断片的に、タクシーの車内から見える街の明かりが行き過ぎるのを覚えていた。エスコート側が酔うわけにもいかないので、なんとか宿泊先までは自力で戻ってきたようだった。

 何かこころに澱のようなものが残っていた。暗い部屋の中を目だけで追ってベッド端を覗き込んだとき、気にかかっていたものが赤いドレスであるのにいきついた。すると、捩れた糸が解けるように、部屋に戻った前後の記憶が蘇ってきた。

 

『ドレスが台無しになるよ!』と男言うと、

『大丈夫です。』と酔いに目の下辺りを薄く赤らめた女が、男の目の中に映る自らの姿を確かめるように虚ろに答えた。

 女は、蒼い瞳孔を目一杯に大きく開いて、身じろぎせず見上げていた。

 彼と会うために着てきたドレスだと言外に言ってるのかと男は理解した。

 Есть ли большой? 

 Ты просто прав

 ベッドの際にドレスと揃いの真っ赤なヒールが不揃いに脱ぎ捨てられていた。

待ち合わせ17

 ヤクーツクは夕暮れであった。薄暮の季節であり、時刻は21時を過ぎていた。女は、彼女が引率する数人の旅行者と市内観光のため民族博物館を見学したあと、市内のマーケット巡りをした。そして、宿泊先とは別のホテルで夕食をとり解散した。夕食場所に設定したホテルのレストランは、子馬のステーキをオリジナルメニューとしている民族レストランが売りで、わざわざ宿泊先のディナーを止めて特別仕立てした。牧畜が盛んなサハ共和国のヤクート料理ツアーをオプションメニューとして参加メンバーに提供したところ、全員が参加することになったので、総勢を湖を前面に臨む、建物の外装が石造りで帝政時代の内装を誇る、この都市でトップクラスのホテルまで連れて来ていた。

 女は、夕食以降のフリーな時間内でこなさなければならない重要な仕事があった。夕食に選定したホテルには、一人の日本人男性が宿泊しており、男が空港へ出発する間際に彼をインターセプトして、その場で彼女のツアーに勧誘するための場所でもあった。

 夕食を終えて、そのホテルのホールまで集まって出て来たツアー客達から、ホテルの正面玄関を出た階段付近に、夕陽を浴びたひとりの女がオレンジ色に縁取りされて佇み、木造りで設えた正面玄関の枠を通して、フェルメールが描いたような光の中に、一幅の絵画のように見渡せた。よく見るとスレンダーな体型と見覚えのあるラフな服装から彼らのツアーコンダクターであることが判別できた。彼らはその美しいロシア女の挙動を興味深い眼差しで遠くから眺めていた。

 このツアーの参加条件は、夫婦ペアーによる2名参加が必須条件であった。男女のペアーに限定しているのはビジネスに徹したツアー客への奉仕サービスをしたいとの主催者側の考えであり、揉め事を回避したいという都合であった。要するに、無用な男女のもめごとに自らが巻き込まれないためのよく考えられた保険であった。

 主催者である女は、参加者全員にヤクーツクで新規の単独参加者を募集することの了解を得た。そして、その候補者が日本人男性であるとの説明をした。新たに加わるメンバーに対して、ツアー客皆が興味を抱き、女の挙動に注目が集まるのは当然であった。

 夕陽のフレアーに縁取られた天使のリングが、人影の頭上に幽かに浮かんでいた。しばらくするとひとりの男が現れ2人は親しげに抱擁した。その刹那、頭上の幽かな陰が女の頭上から消え、そして男の頭上に現れた。

 Why? That is funny!

   A angel ring haved flied.

と眺めていた者のうちから驚きの言葉が発せられホール内に響き渡った。ツアー客達の場所からは、夕暮れの陽を背に知り合いの女と見知らぬ男が演じるシルエット劇が実によく見渡せていた。

 オレンジの逆光の中から、シベリアの山岳民族エバンキに伝わる大地の創造神であるジャブダルが、淡いピンク色の喉を晒し、二股に分かれた赤黒い舌を動かしながら、彼女のタプル器官が雄のフェロモンを探りあてたとき、地の底から湧くような低い風切り音を伴う唸りの中に、甘く問いかけるような微かな声で、魔法の呪文を唱えた。

 Это из-за того, что

 Я была хорошей или любимой

 добрый вечер

 ユリヤ・ミハイロビナ・ソトニコフは、英国人観光客のツアーガイドとして、S7航空モスクワ発ヤクーツク直行便で当地に入っていた。レナ川14日間のクルーズ及び、ウラジオストク訪問の後、日本歴史探訪を組み合わせた、彼女が企画運営する旅行会社のオリジナルツアーに自ら添乗員兼現地通訳者として、男女10名の富裕層顧客を率いてヤクーツク入りしていた。

 一方で、日本観光を売りのツアー企画にする段になって、現地の情報収集も兼ねて、取引企業の関山基子に連絡をとると、知り合いの男がヤクーツク入りしていること知った。
 他方で、モスクワ空港ヤクーツク便が出発間際に一組の夫婦客がツアーのキャンセルを申し出て来た。クルーズでスイートルームの乗客であり、ツアーの採算性に響いてしまうが、常連の上客でもあり、ツアー自体が大幅に黒字であったため、キャンセル料は取らずに社内の処理で収めた。

 лиха без добра

ロシアの諺に、この国では疫病神は片目のお婆さんのようで、そのため目が行き届かず時々間違いをすると言うような、『不幸のなかにもいいこともあるさ』と言う反語的な言い回しがある。

 『損して得する』と言うのがどこの国でも通じる商道徳であるが、合理的な西洋人よりも東洋人、とりわけ中華圏の戦略哲学に通じるところが大きい。女は、日本での生活をある程度積んでいるので、そこから得た経験学習の影響もあるのだろうが、そのような振る舞い自体は、彼女のビジネスの場以前に、幼い頃からの父母などによる道徳的な教育により培われるのが一般的なのかも知れない。女の生い立ちにそのような素質が含まれていることは、このときはまだ明らかとなっていなかった。

 宿泊先のホテルに戻り、帰国の準備に取りかかる積もりで、永久凍土から建物を切り離して、中空に浮いた状態で建っているホテルの階段を登っていくと、色落ちしたジーンズのショートパンツに白いスニーカーを履いたロシア女が男を出迎えた。見事な女の白い太股が半分くらい露わになったているのが眩しい、ロングの金髪をポニーテールで纏め、両手を広げロシアの親しい者同士が行う歓迎の挨拶をしようとした。

 Добро пожаловать в Россию

 女の胸の隆起がジーンズのジャケット越しに軽く男の胸に押し付けられた。男は女のなすがままの姿勢で軽く両手を彼女の腰に添えた。

 男は、彼女の蒼い瞳の目を見て、瞳孔が大きく開ききっているのを確かめると、反射的に女の耳元に口を寄せて呪文を唱えた。

 Я вас любил : любовь ещё, быть может ,

 В душе моем угасла не совсем;

 Но пусты она вас больше не тревожит;

 Я не хочу печалйть вас ничем.

目の前の相手は上目遣いになって微笑んでいた。身体を預けて来たので、男を受け入れる体制をとっていると理解した。そして、女の耳元でさらに低く続けた。

 Я вас любил беэмолавно,беэнадежнао,

 То робстью,то ревностью томйм;

 Я вас любил так искренно,так нежно,

 Как дай вам бог любимой.

 ロシア女でプーシキンを嫌いな女はいないだろうと、男は至極短絡的に考えた。そして、彼の詩を1編だけ日々のエクササイズの中で暗唱して、愛の詩を諳んじて唱えることに熱中した。いつの日にか、そのことがきっと役だつこともあるだろうと思案してのことだった。

 ー ようこそわがロシアへ ー

 と両手を広げて、歓迎の意を表現する女が両手で男を抱擁してきたときは、まるで無防備となり相手のなすがままとなっていた。立っているのが精一杯であった。やっとのことで、女の腰に手を軽く添えたのだが、半ばハングアップした彼の自律システムが、女の瞳孔の開きに反応して再起動したときには、悪戯っぽく次の一手を繰り出していた。

 男はロシア女へ愛の呪文を掛け続けた。

 よく考えてみると、何故女がそこにいるのかを男は理解していなかった。愛の呪文を唱える以前にそのことを知るべきだとの考えに至った。もともと、恋人でもない相手の腰に手を回し、互いの体を密着させる間柄ではなかった。ただ、一旦はルビコンを渡ってしまったからには、既得権者としてその場に橋頭堡を築くのがあたりまえであり、退却及び転進はありえなかった。

『こにちは』と日本語にスイッチすると、

『こんにちわ』とユリヤが上目遣いになって体を離したので、男は彼女の腰に回した手をひいた。

 しばらく、沈黙が続いた。女は気まずい雰囲気を払拭するように、ホールに向かうことを促すように歩き出していた。

 2人は、ホテルのフロント前の待合いスペースに来るまでに、彼女がツアービジネスでヤクーツク入りしたことと、男が今晩の深夜便でヤクーツクを後にすることを共有していた。正確には、女は彼の予定を日本からの情報で知っていた。男の予定を把握した上で、クルーズツアーの穴埋めが可能かを打診しに来ていた。そのつもりで、レナ川クルーズツアーの魅力を男にプレゼンし、特別割引価格で勧誘する目的で、男の宿泊先で待っていたのだった。

 ただ、実際に再会して自分でも思いも寄らぬ展開となってしまった。言い出しにくい雰囲気となってしまったので、躊躇していた。どう考えても、このままクルーズツアーに勧誘すると、ビジネスだけの話ではなくなってしまいそうな危うさを感じた。

 Чему быть, того не миновать.

 元々、余り時間的余裕のない仕事であった。男が数時間後に帰国する航空便をキャンセルし、女が主催するツアーに参加させるには、本人のツアーへの参加意志だけでことは済まない。ビザの確認が必要であり、もしツアー中に切れることになるのなら、延長の申請を大急ぎでしないといけなくなる。それも出国側入国側ともにである。

 ーなるようになるしかならないー

 と、意を決めた女はクルーズツアーの魅力を男に説明し始めた。すると、男はジャブダルの化身であるレナのことをよく知っていた。さらに驚くことには、ツアーコンダクターとしてそのツアーを企画運営する、現地国のロシア女よりも詳しい知識を異国の男は持っていた。男の国でも風変わりな印象を与えた彼が、ロシアの地で再び軽い心理的な衝撃を彼女に与えることになっていた。

『ビザは大丈夫だから、ここからあなたのツアーに参加しようかな?』と男が言うと、

『わかりました、あなたのツアー会社と話し合って、クルーズツアー料金だけ追加入金で済むようにします。』と女はビジネスライクに答えた。

男は、『Обяэательно! 』と呪文を掛けてみたが相手は全く反応しなかった。

 女の母国語で話かけていれば、また彼女の腰に手を回せる可能性もあるだろうと男は考えた。悪戯っぽく、女の蒼い瞳に見入ると、女の瞳孔は天井に輝く年代物の豪華なシャンデリアの光に反応して、小さく萎んで閉じていた。

 楽しい2週間になるだろうと男は思った。美しいレナの姿をこの目に焼き付ける旅になるだろうと期待に胸が膨らんだ。それに既得権益は守るべきであるとも考えていた。

 ルビコンの対岸からの眺めは素晴らしくよいものであったと男は改めてそう思っていた。

 ロシアの虫達はあの男が気に入ったようだと女は小さく笑った。そして、男に惹きつけられ始めてることを女自身感じていた。男に抱かれている間中、女が引き連れてきたはずの頭上の蚊遣りが、より新しい血を求めて、男の頭の上で飛び回っているのを上目遣いで眺めていた。そして、虫達の耳障りな飛行音をバックにして、大好きな詩が耳元で突然始まったのには驚いた。男が暗唱するプーシキンの詩は、韻を踏む文節なども正確に発音していた。異国の男が一生懸命に愛のことば囁くさまが可笑しく、思わず笑いを堪えるために男の胸に顔を埋めたりもしてしまった。

 女は、ロシアの男でもあんな気障なことはしないと改めて思っていた。

 しかし、悪い気がしないことも確かであった。それは、ロシア女の心の奥底にある、情の湖に幾重にも波紋を広げ、女のこころの襞に触れ、その反射波と同期したり、波同士が打ち消しすることで、最後にはより大きな波に成長する可能性を充分に秘めていた。